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中森明菜、現在の収入に驚き!壮絶だった金屏風会見も振り返る

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25歳年下の会社社長の女性との5年にも及ぶ不倫関係が明るみとなった近藤真彦さん。

無期限芸能活動自粛となりましたが、この事態を最も冷ややかに見ているのは中森明菜さんかもしれません。

そこで今回は中森明菜さんの今について見ていきたいと思います。

現在の収入や芸能活動ついて、あるいは壮絶だった金屏風会見についても振り返ります。

 

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中森明菜の現在の収入は?

中森明菜さんの現在の収入源は主に3つあります。1つ目は歌唱印税です。

CDが売れたりカラオケで曲が歌われると、一定の金額が中森さんにも入ります。

2つ目はスポンサーからの収入。

これは中森さんがパチンコ台のイメージキャラクターを務めていることから支払われるわけです。

3つ目はファンクラブがまだ活動しているのでそこからの収益です。

具体的な年収は明らかではありませんが、少なくとも数千万円はあるのではないかと思われます。

 

芸能活動はしている?

中森明菜さんは2009年以降芸能活動を中止していました。

再び動き始めたの7年後の2016年です。

『Akina Nakamori Dinner Show 2016』としてディナーショーを開催します。

そして翌年の2017年には規模を拡大し、14都市で18公演ものディナーショーを開催しています。

ところが2018年以降は再び活動を中止し現在にいたっています。

 

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現在の中森明菜は

現在、中森明菜さんは都内のマンションで暮らしていると言われています。

めったに外出せず、元マネージャーの男性が身の回りの品を届けているとか。

一方では頻繁にアメリカと行き来しているという情報もあります。

今はコロナ禍ですから渡航はしていないと思われますが、中森明菜さんについてはあまり情報は多くありません。

 

壮絶だった金屏風会見とは?

ここからは往時の中森明菜さんについて見ていきます。

松田聖子さんとともに昭和の歌姫だった中森さんの姿や近藤真彦さんとの恋。

そして衝撃的だった金屏風会見について。いずれも未だに語り継がれています。

 

中森明菜は昭和の歌姫だった

中森明菜さんは昭和の歌姫でした。

同時にヒットメーカーでもあったのです。

中森明菜さんはこれまでに51曲のシングルと25タイトルのアルバムをリリースしています。

シングルとアルバムの年間ランキングについて見てみましょう。

■シングル

1983年:『セカンド・ラブ』(年間8位)
1984年:『北ウイング』(年間9位)『サザン・ウインド』(年間10位)『十戒』(年間6位)
1985年:『飾りじゃないのよ涙は』(年間6位)『ミ・アモーレ〔Meu amor e…〕』(年間2位)『SAND BEOGE -砂漠へ-』(年間7位)
1986年:『DESIRE -情熱-』(年間2位)『ジプシー・クイーン』(年間7位)
1987年:『TANGO NOIRE』(年間2位)『BLONDE』(年間7位)『難破船』(年間6位)
1990年:『Dear Friend』(年間6位)

売上首位獲得回数:21曲
連続首位獲得年数:9年間

 

■アルバム

1983年:『バリエーション〈変奏曲〉』(年間8位)『ファンタジー〈幻想曲〉』(年間4位)『NEW AKINA エトランゼ』(年間10位)
1984年:『BEST AKINA メモワール』(年間6位)
1985年:『BITTER AND SWEET』(年間9位)『D404ME』(年間7位)
1986年:『BEST』(年間6位)
1987年:『CRIMSON』(年間3位)
1989年:『BEST Ⅱ』(年間4位)

 

売上首位獲得回数:18タイトル
連続首位獲得年数:8年間

3曲ほどご紹介しておきます。

■十戒

■飾りじゃないのよ涙は

■DESIRE

 

近藤真彦との恋愛

中森明菜さんと近藤真彦さんは1985年に共演した映画『愛・旅立ち』で知り合い交際を始めたと言われています。

しかし実際には映画で共演する前から、交際していたのではないかと見られています。

一説には中森明菜さんは近藤真彦さんのファンで、近づくために同じ高校に入学したとも言われています。

 

金屏風事件

元号が昭和から平成に変わったのは1989年1月8日でした。

そしてこの年の7月11日に中森明菜さん(当時23歳)は、近藤真彦さん(当時24歳)のマンションで自殺未遂事件を起こします。

この日、仕事から帰宅した近藤真彦さんは、浴室で血まみれになっている中森明菜さんを発見します。

中森明菜さんの自傷は、左肘内側に深さ2センチ長さ8センチと深いもので、すぐさま慈恵医大病院で緊急手術を受けます。

傷は神経に達するほどの重傷で手術は6時間にも及びました。

中森明菜さんは幸い一命は取り留めたものの芸能活動を約1年間休止することになります。

 

そして1989年12月31日に後に金屏風事件と呼ばれることになる記者会見が開かれました。

大晦日の緊急会見であり会見場には金屏風が置かれていたことから、一部のマスコミは婚約会見ではないかと早合点してしまいます。

ところが会見の内容は中森明菜さんの謝罪会見でした。

そして近藤真彦さんはその会見に立ち会うという形だったのです。

しかもマスコミから結婚はしないのかと問われると近藤真彦さんは「それはありません」ときっぱり否定します。

最後は二人で握手をするという形で終わり、その不誠実な態度から近藤真彦さんには非難が殺到することになります。

なお中森明菜さんの自殺未遂の原因ですが、中森明菜さんが新居の建築資金として渡していた数千万円のお金を、近藤真彦さんがレースにつぎ込んでしまったこと。

 

当時既に6年も交際していたのにも関わらず、結婚は30すぎでいいと考えていた近藤真彦さんの態度。

そしてだめを押したと言われているのが、写真誌が報じた近藤真彦さんと松田聖子さんのニューヨーク密会キス報道でした。

これらの出来事が重なり中森明菜さんは自殺を図ることになったと言われています。

関連記事:松田聖子の現在の夫・河奈裕正とは略奪婚だったの?最近の顔はぱんぱんになってる?

 

終わりに

以上、中森明菜さんについて見てきました。

自殺未遂と金屏風事件は未だに尾を引いているように思えます。

中森明菜さんはこれらの事件以来、ごく少数の人間しか信用しなくなったからです。

その人間不信は家族間にも向けられており、中森明菜さんは妹の葬儀にも出席していません。

関連記事:中森明菜は妹の葬儀にも出ない位家族との確執有?結婚歴や現在はどうしてる?

筆者も歌姫復活を願う1人ですが、まだ時間が必要なのかもしれません。

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