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冨永愛、壮絶な生い立ちと高校時代からの転機!びっくりのスタイル比較も

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「ヴォーグ」で一流モデルへの道程を連載している冨永愛さん。

じつはその生い立ちは壮絶であったことが知られています。

 

そこで今回は冨永愛さんの生い立ちとモデルとして成功するまでを見てみることにしましょう。

プロの目に留まることになった高校時代の写真も紹介しますから、どうぞ最後までお読み下さい。

 

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Contents

冨永愛の生い立ちとは?

それでは早速、冨永愛さんの生い立ちを見ていくことにしましょう。

幼少時代や育った環境などは壮絶な内容なので驚かないで下さい。

そしてすべて冨永愛さんが自ら明らかにしたもので噂話ではないんです。

 

幼少時代と育った環境

幼少時代、冨永愛さんの母親は結婚と離婚を繰り返していました。

冨永愛さんは3人姉妹なんですが、驚くことに3人とも父親が違いました。

 

そして姉妹とはなんの関わりもない男性が、入れ代わり立ち代わり出入りをしていたそうです。

 

自分の実の父がいない、わからないという事は自分の存在というものを不安定にさせます。

それにプラスして訳の分からない男性が出入り。

だけど母親に頼るしかない。

 

その母親は、というと

冨永愛さんの母親はいつも家を空けていて、たまに帰ってくると酔っていたそうです。

生活費もあまり入れず、言わばネグレクト気味でした。

 

また、冨永愛さんは小学生のころからいじめにあっていました。

原因は小さなころから周りと比べても頭一つ抜けていた高身長のことでした。

 

しかし、母親に学校でいじめられていることを告げても、母親は全く興味を示さなかったこともありました。

冨永愛さんは母親を憎みましたが、母親には従うしかありませんから、孤独感を深めていくことになります。

 

これでは、冨永愛さんは絶望的な幼少時代、環境ですよね。

 

次の文は、冨永愛さんの2014年に出版された『Ai 愛なんて大っ嫌い』からの引用です。

・今になって思うのは、子供の最大の弱点は、母が絶対であるということだ。
どんなに理不尽だと思っても、母の行動や言動を好意的に解釈しようとする。
子供には、そういう健気な能力がそなわっている。そして、母親というものの
ずるさは、子供のそうした感情を、十分すぎるくらい知っている事だ。

・両親がいるような普通の家庭には、いくら仲の良い子の家でも遊びに行ったりしなかった。
ふつうの幸せな家庭を見るのが怖かった。そんなものは、テレビや映画の中にしかない。
現実世界には存在しない。そう言う事にしておきたかった。信じようとしていたものが
壊れるのが怖かった。でもそれ以上に、自分がふつうの家庭のあたたかさに触れてしまう事は
母への裏切りだと思っていたんだろう。

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なんともつらい、壮絶な考え方ですね。

 

そして転機が訪れる高校時代ですが、そちらに行く前にもう一つ自伝から引用したいと思います。

十七で人を憎しみ、殺したいと思い、モデルの世界に入ったわたし。貧乏を呪い、バラック小屋を呪い
ふつうの家庭に育つ級友を羨ましく思い、わざと悪びれて、タバコを吸い、不良仲間とタムロし、
先生に刃向ったわたし。わたしが呪い続けた、私の境遇。劣悪な境遇。

 

 

いやはや、もうとんでもなく凄まじいです。

では次に、高校時代を見てみましょう。

 

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高校時代について

中学時代にすでに175cmだったという冨永愛さん。

『巨人女』

『ジャイアン冨永!』

『モデルよりプロレス行け』

などと言われていたようです。

 

高身長を呪った冨永愛さんですが、17歳のときのに、高身長を活かしてモデルとして活動を始めました。

きっかけは15歳の時に姉が読者モデルに応募したのです。身長は175cmでした。

その結果ボン・イマージュというモデル事務所に所属することになり、雑誌「プチ・セブン」のモデルを務めました。

 

そして17歳の時にあの有名な高校生の制服を着た写真が「ヴォーグ」に掲載されます。

 

プロの目に留まったこの写真

有名な写真ですから皆さんも御存知でしょう。こちらです。

 

この写真が海外のファッション関係者の目に留まり、本格的に世界で活動を始めることになります。

そして2001年(19歳)にはニューヨーク・コレクションでランウェイモデルとしてデビューを飾ります。

 

パリコレへの道

冨永愛さんは2002年からパリコレのパリ・オートクチュールやプレタポルテ部門など、3大コレクションにレギュラー出演を果たすようになります。

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パリコレクション(オートクチュール)では、イヴ・サンローラン、ユミカツラ、ジバンシー、シャネル、クリスチャン・ディオールなど、そうそうたるブランドのランウェイに登場しています。

 

どうしても出したい比較写真

小さい頃よりいじめの対象となった高身長。そしてそれを活かすべくモデルの道を選んだ冨永愛さん。

パリコレに出るようなスタイルとはどんなのでしょうか。

以前、「冨永愛のスタイルは神!一般人や芸能人と比較してみた」でも紹介しましたが、どうしても出したい比較写真と言えばこちらですね。

 

ハリセンボンさんには大変申し訳ないですが、我々普通の人のスタイルといえばハリセンボンさん寄りです。

こう思って見比べると、身長にしても目の位置が冨永愛さんの胸の位置!

冨永愛さんの顔を見るにはこちらの首を思いっきり上げなきゃいけないことが分かります。

足の長さはもちろんですが、なんと!冨永愛さんの手の長さとハリセンボンはるなさんの足の長さが同じじゃありませんか!

( ゚Д゚)

実際の冨永愛さんにお会いしたことはありませんが、冨永愛さんのスタイルについては「目がテン」「のなるのでしょうね。

冨永愛のスタイルは神!芸能人との比較画像もあるよ。

 

まとめ

  • 冨永愛の母親は結婚・離婚を繰り返したため3人姉妹の父親はすべて違う。
  • 幼少の頃より高身長ゆえのいじめを受けていた。
  • 冨永愛の母親は子供を放置し、ネグレクトであった。
  • 自伝には悲惨な環境が綴られている。
  • 冨永愛のモデルデビューは15歳の時。
  • 冨永愛は2002年にパリコレデビューを果たしている。

以上、冨永愛さんの驚愕の生い立ちについて見てきました。

 

それにしても酷い環境だったんですね。

今なら児童相談所の案件になっているでしょう。

 

ただ、どんな母親でも母親がいなければ冨永愛さんは生まれなかったわけで、それを考えると複雑な気分になります。

 

さて、今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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