元日本代表ゴールキーパーの川口能活さんが今シーズン限りでの引退を発表しました。
そこで今回は川口能活さんについていろいろ調べてみたいと思います。
若い頃や高校時代はどんな選手だったんでしょう。
引退試合やセレモニーについても気になります。
それからサッカーでどれくらい稼いだのかも知りたいですよね。
最後までお付き合いくだされば、おわかりいただけると思います。
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Contents
川口能活のプロフィール
・川口 能活(かわぐち よしかつ)
生年月日:1975年8月15日(43歳)
出身地:静岡県富士市
身長:180cm
体重:77kg
選手情報
在籍チーム:SC相模原
ポジション:GK
背番号:1
利き足:右足
ユース
-1987:天間小SS
1988-1990:東海大第一中学校
1991-1993:清水商業高校
クラブ
年 クラブ 出場 (得点)
1994-2001:横浜F・マリノス 193 (0)
2001-2003:ポーツマスFC 12 (0)
2003-2004:FCノアシェラン 8 (0)
2005-2013:ジュビロ磐田 228 (0)
2014-2015:FC岐阜 43 (0)
2016-2018:SC相模原 37 (0)
代表歴
1995-1996:日本 U-23
1997-2010:日本 116(出場)
川口 能活(かわぐち よしかつ)さんは静岡県富士市出身のプロサッカー選手です。ポジションはゴールキーパー(GK)。
日本代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴があります。
国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位で、同ゴールキーパーでは歴代1位の116試合の記録を持っています。
また4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されています(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。
オシムジャパンと岡田ジャパンでは主将を務めました。
2018年11月14日、相模原市役所で記者会見を行い、今季限りでの引退を表明しました。
なんと、来季から日本代表チームのGKコーチに就任が決まりました。
これまでの川口能活選手の働きからすれば納得の人事ですね。
森保一監督意気な計らいですね。
高校時代から若い頃どんな選手?
川口能活さんはユース時代や若い頃はどんな選手だったんでしょう。
最初からゴールキーパーだったんでしょうか。
ここからは川口能活さんの選手時代を振り返ってみることにしましょう。
高校時代
川口能活さんは漫画「キャプテン翼」に影響を受け、9歳からサッカーを始めます。
当初はポジションを転々としていましたが、小学4年生からゴールキーパーに専念します。
中学時代には3年連続で全国中学校サッカー大会に出場しました。
1991年、清水市立商業高等学校(現静岡市立清水桜が丘高等学校)に入学します。
1年生の時からレギュラーとして試合に出場しました。
第70回全国高等学校サッカー選手権大会では3回戦で敗退します。
翌年の同大会には出場が叶いませんでしたが、3年生の時に第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。
予選から準々決勝まで11試合連続無失点を記録します。
決勝戦では、前年度王者の長崎県立国見高等学校と対戦し、2-1で勝利。5年ぶり3回目となる選手権優勝を果たします。
若い頃
川口能活さんは若い頃はイケメンで髪を染めていたこともあります。
また高校時代にはサッカー専門誌の表紙を飾っています。
そんな川口能活さんですがじつは「天然」だったんだそうです。
エピソードを見てみましょう。
・チームバスから降りるとき、なぜか運転手さんに「ごちそうさま」と言って降りて行った。
・コンビニ店員から「からあげクンはいかがですか?」といわれ「からあげクンってただで食べれるの?」って真剣に中澤と楢崎に聞いてきた。
・先輩から「ライバルから目を離すな」と言われた川口能活さん。食事中までもじーっとライバル選手を睨み続けてしまいます。おかげでそのライバル選手は川口恐怖症になってしまいました。
・上田康太を呼ぼうとして「上田~。あ、間違えた康太だった!」
・移動のバス内でDVDプレイヤーを使っていた川口能活さん。ところがイヤホンを挿す場所を間違えて大音量を回りに響かせてしまいます。しかし本人はイヤホンのせいで気付かず「今日は音が良く聞こえないな?」と首をひねっていました。
絵に描いたような天然ぶりですね。
一流選手になってからは
川口能活さんは1994年に横浜F・マリノスに入団し、2001年まで活躍します。
2001年から2年間、イングランドのポーツマスFCに移籍しますが、ここで初めて挫折を経験します。川口能活さんは当時を振り返ってこのように述べています。
「一生懸命に指示を出しても聞き入れてもらえなかった。点を決められると僕に対して『どうして止められないんだ』という空気がチーム内に漂う。相手のスーパーゴールでさえ、僕の責任のような感じになっていたのは辛かった」
「ただ、この悔しさと向き合い、あきらめずにはい上がろうとしたメンタリティーは長い現役生活に役立っていると思う」
さすがですね。転んでもただでは起きないという根性が伝わってきます。
その後、デンマークのFCノアシェランに移籍しますが、ここでも思うような成績を残せず、再びJリーグに復帰。
ジュビロ磐田時代には、Jリーグベストイレブンのタイトルを獲得するなど活躍しましたが、2013年に9年間在籍したチームを去ることになりました。
FC岐阜を経てSC相模原に所属していましたが、2018年11月14日に今シーズン限りでの引退を表明しました。
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引退試合とセレモニー
J3のSC相模原の望月重良会長は、2018年11月14日に相模原市役所で行われた川口能活さんの引退会見の席で、今季リーグ最終戦での川口能活さんの出場を否定しませんでした。
したがってリーグ最終戦が引退試合となる可能性があります。
引退試合は
引退試合はJ3リーグ最終戦となる12月2日(日)のJ3第34節・鹿児島ユナイテッドFC戦です。
試合が行われるのは相模原ギオンスタジアムですが、既にチケットはほぼ完売状態で、若干の自由席を残すのみとなっています。
相模原史上初の1万人の動員が予想されています。
予想通り、超満員でしたね。改めて川口能活選手がファンから愛されていたのがわかりましたね。
セレモニーは
SC相模原の公式ホームページによると12月2日(日)のJ3第34節・鹿児島ユナイテッドFC戦の終了後に引退セレモニーを予定しているそうです。
詳細については明らかになっていません。
年棒推移は
川口能活さんの2017年までの年俸の推移は以下の通りです。
|年|年齢|年俸(円)|出場数|
・横浜F・マリノスに加入 193試合
1994 (19) 360万円
1995 (20) 1,000万円
1996 (21) 2,000万円
1997 (22) 3,000万円
1998 (23) 4,000万円
1999 (24) 5,000万円
2000 (25) 5,500万円
・ポーツマスFCに移籍 12試合
2001 (26) 7,000万円
2002 (27) 7,000万円
・FCノアシェランに移籍 8試合
2003 (28) 6,500万円
2004 (29) 6,500万円
・ジュビロ磐田に移籍 228試合
2005 (30) 6,000万円
2006 (31) 6,000万円
2007 (32) 6,000万円
2008 (33) 6,600万円
2009 (34) 1億円
2010 (35) 1億円
2011 (36) 3,000万円
2012 (37) 3,500万円
2013 (38) 3,500万円
・FC岐阜に移籍 43試合
2014 (39) 3,000万円
2015 (40) 3,000万円
・SC相模原に移籍 19試合
2016 (41) 1,000万円
2017 (42) 1,000万円
年俸総額 11億460万円 503試合
終わりに
こうしてみてみると改めて川口能活さんが偉大なゴールキーパーだったことがわかります。
引退試合を生で見たい方は急いだ方がいいでしょう。
運が良ければ自由席のチケットが手に入るかも知れません。
引退試合は超満員でしたね。
それでは今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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