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栗山英樹の経歴にメニエールがある?現役時代の成績、引退後の名言に感心!

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ヤクルトスワローズで外野手として活躍し、北海道日本ハムファイターズの監督を10年務めた栗山英樹さん。

現在は侍ジャパンを率いています。

そこで今回は「栗山英樹の経歴にメニエールがある?現役時代の成績、引退後の名言に感心!」をテーマに調査してまとめました。

画像も掲載しているので、どうぞ最後までお読みください。

 

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Contents

経歴(プロフィール)

■栗山 英樹

・出身地:東京都小平市
・生年月日:1961年4月26日(61歳)
・身 長:174cm
・体 重:72kg

<選手情報>

・投球/打席:右投/両打
・ポジション:外野手
・プロ入り:1983年 ドラフト外
・初出場:1984年10月8日
・最終出場:1990年10月9日

<経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)>

・選手歴

・創価高等学校
・東京学芸大学
・ヤクルトスワローズ (1984 - 1990)

・監督歴

・北海道日本ハムファイターズ (2012 - 2021)
・日本代表 (2021 -)

 

栗山 英樹(くりやま ひでき)さんは東京都小平市出身の元プロ野球選手で元プロ野球監督です。

マネジメントは有限会社オフィスマリーン。

選手引退から監督就任までの間は、野球解説者・スポーツジャーナリストのほか、白鷗大学教授としても活動していました。

2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を、球団最長となる10年間務めた後、2021年に野球日本代表監督に就任しています。

現在は北海道日本ハムファイターズプロフェッサー。

日本のプロ野球監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は、ともに栗山さんが史上初めてとなります。

 

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メニエールがある

栗山英樹さんは1年目の1984年に遊撃手として一軍デビューを果たします。

しかし2年目の1985年からは、平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しむようになり、試合中に突然目まいや立ちくらみを覚えるようになってしまいます。

最初にメニエール病の症状に襲われたのは、5月の二軍公式戦でした。

この試合の最終回に突然地面が揺れ始め、ボールが2つにも3つにも見えるようになり、あと1人で試合終了というところでベンチへ交代を願い出ています。

同年のオフには、意図的に三半規管を麻痺させる治療を受け、一時的に症状を抑え込みました。

翌年の1986年はシーズン終盤に、再び試合中に目まいや立ちくらみを覚えるようになります。

オフには治療に専念するため、長期入院を余儀なくされました。

その後も症状と戦いながら現役を続けてきましたが、1990年に引退することを決意します。

プロ生活は足かけ7年でした。

 

現役時代

栗山英樹さんは現役時代はどんな選手だったのでしょうか。

残した成績や年俸の推移についても知りたいところです。

選手としての特徴をみてから、成績や年俸についてご紹介しましょう。

 

どんな選手だった

栗山英樹さんは創価高校では1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースとしてチームを牽引しましたが、春の全東京大会では早稲田実業に0-3で敗れて関東大会出場を逃します。

その後は教員を目指し、東京学芸大学教育学部に合格しました。

東京学芸大学では硬式野球部に入部し、投手・内野手として活躍します。

東京新大学野球連盟では投手として1年春、2年春のシーズンをリーグ制覇します。

しかしスライダーを投じた際に右肘を故障してからは、投手としての限界を感じ野手に転向することになります。

東京新大学野球連盟での通算成績は、投手として25勝8敗、打者として打率.389(リーグ史上3位)という並外れた成績を残しました。

俊足巧打のスイッチヒッターで、外野守備のスペシャリストでもあり、1989年にはゴールデングラブ賞を受賞しています。

 

成績

栗山英樹さんの選手時代の年度別打撃成績は次の通りです。

■年度別打撃成績

年度 試合 打席 得点 安打 打率

1984     2     1   0    0   .000
1985   29   18   9    5   .278
1986 107 258 34   72   .301
1987   72   99 13   18  .196
1988   90 370 33 112  .331
1989 125 484 49 107  .255
1990   69 109 15   22  .229

 

年棒

栗山英樹さんの選手時代の年俸推移は次の通りです。

■年俸推移

年度  年俸

1984     300万円
1985     320万円
1986     450万円
1987     810万円
1988     780万円
1989  1,380万円
1990  2,000万円

ドラフト外入団なので契約金は無かったのですね。

 

名言とは

栗山英樹さんは現役引退後に数々の名言を残しています。

いくつかご紹介しましょう。

栗山英樹の名言その1

「プロ野球選手は個人事業主だけど、組織に貢献できないと自分のためにならない。

うちの選手たちがその姿勢を持っていることはわかったから、あえて、もっと野球に集中しやすいように『自分のために』と言った。

だって、家族の笑顔が一番嬉しいでしょ?『家族のためにおまえも笑顔を見せてくれ』という思いでした」

 

栗山英樹の名言その2

「(大谷について)本当に二人いると思ってるよ。エースで4番だというイメージ。

バッターとしては今でも主力だし、ピッチャーとしても立ち姿、ボールの質、どれを取っても間違いなくチームの軸になれる」

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栗山英樹の名言その3

「選手を試合で起用するときには、僕はその選手を全面的に信じています。

コーチは、選手の実力や状態を冷静に評価できないとダメですが、首脳陣のなかで僕ぐらいは、選手を信じてあげようと思っています」

・引用元:MOTIV(https://motiv.top/word/kuriyamahideki/)

含蓄がある言葉ばかりですね。

 

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まとめ

以上、侍ジャパンを率いる栗山英樹さんについてみてきました。

選手時代にはメニエール病に苦しみながらも、きちんと成績を残しています。

また北海道日本ハムファイターズの監督は、球団最長となる10年務めました。

経験の深い野球人の1人として、これからもプロ野球に貢献されるに違いありません。

応援しましょう!

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