サッカーワールドカップ・2018ロシア大会に日本代表に選ばれ,ポーランド戦に先発出場した武藤嘉紀選手、ハードなプレーとスピードが持ち味です。
そんな武藤嘉紀選手は以前に怪我をしてしまいました。
いつ?どの箇所を?
そして復帰後の現在の状態はどうなのでしょうか?気になります。
今回はその辺を探ってみます。
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怪我はいつ?どの箇所をしたの?
プロフィール
1992年7月15日(現在25歳)東京都世田谷生まれ、身長179cm、体重72kg
3歳から親からスポーツの英才教育(バディスポーツ幼稚園)を受けて、4歳でバディサッカークラブに入部し、サッカーを始めます。小学校6年間はそのクラブに所属します。
中学に入るとFC東京のユースチームU-15に入り、高校に入学するとU-18に入り、FC東京の2種登録選手になります。高校卒業後はFC東京のトップチーム昇格を打診されるも、まだプロの実力は無いと判断し、大学進学を選びます。
そして受験勉強をして慶応義塾大学経済学部に入学します。
大学のサッカー部に入部します。
怪我はいつ?どの箇所を?
一番最初の大きな怪我は大学に入った2011年の間もない試合中での接触プレーで、左膝半月板損傷でした。
復帰までに約1年という時間はかかりましたが、この間に多くのことを学んだようです。食事や栄養面のことを学びました。
この辺りも一流選手になる要素がありますね。
恩師である大学の監督・須田芳正氏から次の言葉を受けています。
「一流のアスリートになるためには怪我との向き合い方が重要」「そのためには食事や栄養面の知識も必要」
怪我をしないことも重要だが、そこにしっかり向き合って怪我からの回復をいかに上手くすることが出来るかが、一流選手であり続けることが出来るかという教えですね。
大学の監督・須田芳正氏は医学博士でもありますので、説得力がありますよね。さらに次のようなことも言われました。
「特に膝の場合は繰り返し痛めてしまう可能性があり、慢性的な痛みを抱え選手生命や選手寿命を大きく左右する」
この言葉を受けて武藤嘉紀選手は食事のことを研究してこれまでとは食事を変えて、さらにリハビリを重ねて怪我を克服しました。
その後、活躍をすると2012年6月(大学2年生時)にはFC東京から特別指定選手に選ばれます。武藤選手にとってはプロでの腕試しという感じです。
さらに2013年(3年生の時)には前年同様FC東京の特別指定選手に登録され、7月にJ1デビューを果たします。
FC東京にとっては入団をしてほしいという表れです。
そして2014年、4年生になると大学生でのプロ契約をFC東京とします。前例には明治大学の長友佑都選手がいます。
前出のソッカー部(慶応大学ではサッカー部のことをこう呼んでいます)・須田芳正監督からすでに大学サッカーのレベルは超越している。
大学サッカーを続けていても武藤嘉紀選手にとってはためにならない、更なるレベルアップを目指してほしいという意図から、ソッカー部を退部してプロ入団を勧めたのです。
2014年、開幕から先発出場を果たし、33試合に出場して新人最多記録に並ぶ13得点を挙げて、エースストライカーとして名を挙げ、その年のJリーグベストイレブンに選出された。
2015年、2年目もFC東京のエースストライカーとして17試合に出場して、10得点を挙げた。
その活躍からイングランド・プレミアリーグ・チェルシーから続いてドイツ・ブンデスリーガ1部・FSVマインツ05からオファーを受ける。
熱心な誘いのあったドイツ・ブンデスリーガ1部・FSVマインツ05を選択する。
2015年7月から2019年6月までの4年契約である。移籍金は推定で300万ユーロ(日本円で4億円)であった。
そしてドイツに渡った武藤嘉紀選手は8月10日にマインツでの初出場を果たし、その後の試合でも予想以上の活躍をします。
アウクスブルク戦ではハットトリックを決めます。
ご存知のようにドイツ・ブンデスリーガは非常に競り合いが激しく怪我をしやすい環境です。それでも武藤嘉紀選手は果敢に点を取るために激しく動きます。
マインツの監督からはそんな武藤嘉紀選手の姿勢を評価されていました。
ところが、2016年2月6日にブンデスリーガ・ハノファー戦で右膝外側側副靭帯を部分断裂してしまいます。
そしてその年の3月下旬には練習復帰するも、練習中にハノファー戦で痛めたところとは別の箇所の右膝外側側副靭帯損傷の怪我をしてしまいます。
このときの怪我はハノファー戦よりは重傷で、結局日本に帰って治療に専念しました。約5ヶ月間治療とリハビリに要しました。
2016年8月17日にブンデスリーガ開幕戦のボルシア・ドルトムント戦で途中出場ながら今シーズン初得点を挙げたが、9月29日の試合で、右膝を怪我してしまいます。
そして、2017年1月22日のFCケルン戦で約4ヶ月ぶりの復帰を果たしました。
このように2011年大学時代には左膝半月板損傷の怪我を、プロに入ってドイツに渡って2016年2月6日にブンデスリーガ・ハノファー戦で右膝外側側副靭帯を部分断裂してしまいます。
その年の3月下旬には練習中に別の箇所の右膝外側側副靭帯損傷の怪我をしてしまいます。
そして2016年9月29日には右膝を怪我します。
両膝に爆弾を抱えてしまうことになってしまいました。
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復帰後の現在の状態は?
怪我から復帰後の2017年8月からの2018年6月までのドイツ・ブンデスリーガ・マインツでのシーズンでは怪我なく、27試合に出場して8得点の活躍をして、来シーズンのチームへの残留を決めています。
当初の契約の2019年6月までの4年契約が遂行されるようです。
そして2018年6月から始まったサッカーワールドカップ・ロシア大会の予選リーグ第3戦のポーランド戦に出場しました。
決勝リーグ1回戦・対ベルギー戦でも活躍してくれると期待します。
ただ、武藤嘉紀選手のプレースタイルはどうしても体に負担がきます。
特に膝は急に走るスピードを上げたり、下げたり、あるいは体の切り返しで向きを変えたり、またヘディングなどのジャンプをしたり、一番負担がきます。
特にブンデスリーガは選手同士の当たりが激しいところですから、どうしても怪我は付き物かもしれませんね。
しかし、それを承知でチャレンジしているわけですから、大学時代に学んだ食事や栄養面での知識を生かして膝が慢性的に痛くならないように注意していると思います。
2015年7月3日には慶応義塾大学で同級生だった女性と結婚して、一緒にドイツで生活を始めています。ブンデスリーガに挑戦した1年目から一緒です。
ドイツで怪我をしたときも奥さんもドイツにいました。だから一緒に食事や栄養面も研究してくれていると思います。
2016年4月25日には第一子となる女のが誕生しています。ちょうど武藤嘉紀選手が怪我の治療で日本に帰っているときですね。
子供のためにも今後、ますますがんばるのではないでしょうか。期待します。
まとめ
- 武藤嘉紀選手は最初の怪我は2011年、大学1年生の時で左膝半月板損傷です。
- 次はドイツに渡って2016年2月6日にブンデスリーガ・ハノファー戦で右膝外側側副靭帯を部分断裂してしまいます。
- そして1ヵ月後の3月下旬には練習中に別の箇所の右膝外側側副靭帯損傷の怪我をしてしまいます。
- そして2016年9月29日には右膝を怪我します。
- 復帰後の現在の状態は怪我もよくなり、2018サッカーワールドカップ・ロシア大会に日本代表で活躍しています。
今後もますますの活躍を期待しています。
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