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愛甲猛は甲子園のアイドル!プロのロッテ・中日時代の活躍は?引退後から現在に至るまでの妻の支えを知らないあなたへ!

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愛甲猛選手が今日のテレビに出演します。久々に拝見します。かって甲子園で大活躍しアイドルだったことを思い出します。プロ入団後ロッテ・中日で活躍しました。

引退の引き金になった筋肉増強剤を使用していたこと、引退後にその後遺症で「閉塞性動脈硬化症」で苦しんでいたこと。そして妻が愛甲猛氏を始め現在まで家族を支えていたこと、そんなことは全く知りませんでした。そのあたりを探ってみます。

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甲子園のアイドル時代

高校は松坂大輔がいたあの名門横浜高校で、1年生の時からすでにエースで1987年夏の甲子園に出場しました。1989年高校3年生の時には夏の甲子園であの荒木大輔がいた早稲田実業高校を破り、甲子園優勝投手となります。そして当時男前だったこともあり、甲子園のアイドルとなります。

引用元:http://www.plus-blog.sportsnavi.com/maniac/article...

プロ入団後のロッテ・中日時代

投手として鳴り物入りでロッテにドラフト1位で入団しましたが、1勝もできずに投手を断念。4年目からは打者に転向します。元々野球センスは抜群で打者としての才能には長けていました。しかし、その才能を開花できたのはあの天才バッター落合博満氏の存在です。打者として落合氏に弟子入りしたのです。あまりの落合氏の厳しさに逃げ出そうとした時もあったようですが、落合氏の面倒見の良さもあって、ついにはロッテで落合選手とクリーンアップを組むまでに成長しました。

引用元:http://ad.liblo.jp/archives/51217314.html

1989年には一流バッターの証である3割も記録し、守備での評価の証であるゴールデングラブ賞も受賞しました。535試合連続フルインニング出場を続け、パリーグ記録になっています。

その後落合博満氏が中日の監督に就任すると追っかけるように中日に移籍します。中日では代打の切り札として活躍しました。

引用元:http://news.baseball-license.com/2015/01/03/post-1...

年齢とともに体力の衰えをカバーしようと当時は禁じられていない、筋肉増強剤を取り入れていました。若い人にも負けないパワーなどを手に入れて活躍できていました。

しかしその筋肉増強剤によって不整脈になってしまい現役引退という事になってしまいました。

 

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引退後から現在まで

引退後から1か月後に突然胸に痛みが走り「閉塞性動脈硬化症」と診断されました。筋肉増強剤を6年間使用した後遺症だったのです。その後しばらくは仕事に就くことが出来ず、妻が週5日のパートで家計を支えたそうです。子供も2人いて、子育ての大切な時期でもありました。

その後徐々に回復するにつけ、愛甲氏は野球コラムの仕事を始め、少しづつ野球関連の仕事にオファーが来るようになります。今現在はバッティングセンターの片隅を借りて「野球教室」を開いています。

引用元:http://www.wataclub.net/y-abatting123/batt/

かって自分が活躍、輝くことのできた甲子園に出場できる選手を輩出するために。

妻の協力があって愛甲選手は第二の人生を歩み始めたようです。甲子園で輝いていた愛甲選手しか知らなかった私には大きな驚きでした。

甲子園で活躍した選手には様々なドラマがあります。愛甲猛選手もその一人です。今後も野球関係の仕事で輝いてほしいものです。

まとめ

  • 甲子園では3年生の夏の大会で全国制覇を成し遂げ、優勝投手としてアイドルになりました。
  • ドラフト1位でロッテに入団。しかし投手としての目が出ず、4年目に打者に転向しました。そして落合博満氏との出会いで一流バッターに成長します。
  • その後落合氏を追っかけるように中日に移籍、代打の切札として活躍します。
  • 体力の衰えをカバーしようと当時は禁止されていない「筋肉増強剤」を6年間使用します。しかしそれがあだとなり、引退を早めます。引退後も後遺症に悩み、ついに「閉塞性動脈硬化症」になってしまいます。しばらく仕事に就くことが出来ずに妻がパートに出て、家計を支えます。
  • 今現在は野球教室を始め、甲子園を目指す若い人に夢を与えています。

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