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原辰徳の若い頃はイケメンで若大将!プロでの成績や年棒もスーパースター?

更新日:

読売ジャイアンツの監督を務める原辰徳さん。

若い頃はイケメンで若大将と呼ばれていました。

打者としての成績も素晴らしく、年俸も当時としては高額でした。

つまりスーパースターだったわけです。

そこで今回は原辰徳さんの現役時代について詳しくご紹介しましょう。

改めて成績を見ると驚かされます。

年俸の推移も掲載しているので、どうぞ最後までお読みください。

 

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Contents

若い頃はイケメンで若大将!

原辰徳さんはルーキー時代には『若大将』と呼ばれ大人気でした。

『若大将』とはもちろん加山雄三さんの人気シリーズ映画のこと。

甘いマスクでスポーツ万能の若大将が大活躍するストーリーですが、原辰徳さんがダイヤモンドで魅せる華麗なスウィングを重ね合わせたのかもしれません。

 

プロフィール

・原辰徳

出身地:神奈川県相模原市(出生地は福岡県大牟田市)
生年月日:1958年7月22日(62歳)
身 長:180cm
体 重:86kg

選手情報

投球・打席:右投右打
ポジション:三塁手、外野手、一塁手
プロ入り:1980年 ドラフト1位
初出場:1981年4月4日
最終出場:1995年10月8日

 

経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

東海大学付属相模高等学校
東海大学
読売ジャイアンツ (1981 - 1995)

監督・コーチ歴

読売ジャイアンツ (1999 - 2003, 2006 - 2015, 2019 - )
日本代表 (2009)

 

原 辰徳(はら たつのり)さんは元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)です。

2019年から3度目の読売ジャイアンツの監督を務めています。

2009年には日本代表監督も務めた経験があります。

1980年代から1990年代中盤にかけて巨人の4番打者を務め、ON時代後の巨人を支えました。

入団から12年連続で本塁打20本以上を記録し、4番としての出場試合数は球団歴代4位になります。

監督としてもチームを8度のリーグ優勝と3度の日本一に導いていています。

 

高校時代

原辰徳さんは1974年、東海大相模高校に入学し、1年生から三塁手のレギュラーとして活躍します。

夏の甲子園に3年連続で出場し1975年の春の甲子園にも出場しています。

この大会では決勝戦まで勝ち進み、延長の末に高知高校に敗れたものの、準優勝という成績を収めました。

地区大会の神奈川県大会では川崎球場を満員にする程の「原フィーバー」を巻き起こしました。

高校通算本塁打は43本です。

 

大学時代

原辰徳さんは高校卒業後、内部進学で東海大学政治経済学部経済学科に進みます。

当時、東海大学はあまり大学野球で人気のない首都大学野球連盟に加盟していましたが、原さん目当てのファンが殺到する事態に備えて、加盟校のグラウンドで行われていた試合に加え、川崎球場や横浜スタジアムなどを利用したそうです。

 

首都大学リーグでは3度の最高殊勲選手、1年生秋のリーグを除く7度のベストナインを獲得しています。

打撃三冠王を2度達成する快挙も見せました(2年生秋・4年生春)。

リーグ通算93試合出場、362打数144安打、打率.398、21本塁打、105打点という成績を残しています。

 

プロ入り後すぐ

1980年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツ新監督の藤田元司が、4球団競合の末に1位クジを引き当て、原辰徳さんは巨人に入団します。

1981年4月4日、開幕戦に6番・二塁手で先発出場を果たします。

プロ初打席は中日ドラゴンズ・三沢淳さんの前にセカンドフライに倒れますが、代わった牛島和彦さんからプロ初安打を記録。

翌日には小松辰雄さんからプロ初本塁打を放ち、その17日後に行われた対大洋ホエールズ戦(北九州市民球場)では、遠藤一彦さんから自身初のサヨナラ本塁打を放ちました。

試合終了後には興奮した大量のファンが乱入するほどの盛り上がりでした。

 

イケメンでCM出演

原辰徳さんはルーキーの頃からCMに引っ張りだこでした。

1981年は明治乳業のプリンのCMに出演しています。

1984年には人気絶頂だったアイドルの岩崎宏美さんとともに、スバル・レオーネのイメージキャラクターを努めています。

また大正製薬の目薬「アイリス」のCMにも出演しています。

他にも味の素やオンワード樫山、エポック社など多くのCMに出演しました。

 

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プロ入り後の成績

原辰徳さんの年度別打撃成績は次の通りです。

・年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 得点 安打 打率

1981 巨人 125 507 64 126 .268
1982 巨人 130 542 81 136 .275
1983 巨人 130 571 94 151 .302
1984 巨人 130 543 72 130 .278
1985 巨人 124 521 79 125 .283
1986 巨人 113 467 70 115 .283
1987 巨人 123 489 80 133 .307
1988 巨人 126 529 79 140 .300
1989 巨人 114 459 60 103 .261
1990 巨人 103 425 58 111 .303
1991 巨人 127 524 66 122 .268
1992 巨人 117 493 61 119 .272
1993 巨人   98 387 28   77 .229
1994 巨人   67 227 26   58 .290
1995 巨人   70 160 13   29 .201

 

 

・年棒推移

原辰徳さんの年俸の推移は次の通りです。

年度  球団   年俸

1980 巨人  8000万円(契約金)
1981 巨人  840万円
1982 巨人  1440万円
1983 巨人  2700万円
1984 巨人  4300万円
1985 巨人  3870万円
1986 巨人  3870万円
1987 巨人  3870万円
1988 巨人  6000万円
1989 巨人  6600万円
1990 巨人  8000万円
1991 巨人  9400万円
1992 巨人  9900万円
1993 巨人 1億2500万円
1994 巨人 1億1500万円
1995 巨人 1億1500万円

 

 

スーパースター

読売ジャイアンツは1959年から1974年まではON砲時代で、王貞治さんと長嶋茂雄さんが球団人気を牽引してきました。

しかし、その後はこれと言ったスター選手がいないまま、数年間が過ぎています。

そして球団人気に陰りが見え始めた矢先に原辰徳さんが登場します。

読売ジャイアンツは原辰徳さんにより再び人気球団に返り咲きます。

ON砲の穴を一人で埋めたわけですから、間違いなくスーパースターと言っていいでしょう。

 

終わりに

以上、原辰徳さんについて見てきました。

改めて打撃成績を見てみると優秀な打者だったことがわかります。

そして監督としてもきちんと成績を残しているんですから凄い方です。

今季もリーグ優勝は間違いないでしょう。

コロナ禍で開幕が遅れたプロ野球ですが、始まればやはり盛り上がりますね。

日本シリーズがどうなるのか楽しみです。

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