2019年夏の第101回全国高校野球選手権岩手大会で、監督判断で投手・打者とも出場回避となったことで、議論を呼んだ佐々木朗希さん。
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— ムビコレ (@m_c_jp) May 12, 2020
個人的には監督を支持しますが、皆さんはいかがですか?
あれから約2年8か月後の2022年4月10日のオリックス戦で史上最年少となる20歳5か月で完全試合を成し遂げましたね。
あの時の監督の判断が正しく、無理せず大事に育ててきたロッテの首脳陣の育て方。
すべてがつながってきた結果かもしれませんね。
素晴らしいことです。
それはともかく、今回は佐々木朗希さんについて取り上げることにしました。
どうして母子家庭で育つことになったのか、父親の職業や死因は何なのかや、中学・高校時代の活躍についてご紹介しましょう。
どうぞ最後までお付き合いください。
Contents
母子家庭で育つ
佐々木朗希さんは9歳の時に父を亡くし以降は母子家庭で育ちました。
佐々木朗希さんは3兄弟の真ん中で、上に兄が下に弟がいます。
兄の琉希さんは3つ年上で朗希さんと同じ高校で野球部に所属していました。
父親を亡くしてからはこの兄が父親代わりとなり、朗希さんに対しては厳しく接したんだそうです。
そして佐々木朗希さんはそんな兄に感謝しているそうです。
父の職業と死因
佐々木朗希さんが母子家庭で育ったことはわかりましたが、父親はどんな方だったのでしょうか。
職業や人柄について知りたいところです。
また、なぜ亡くなったのかも気になりますよね。
そこで佐々木朗希さんの父親の功太さんについて見てみることにしましょう。
職業は
父・佐々木功太さんの職業は葬儀屋です。
自営ではなく勤めていたようです。
葬儀屋は時間が不規則になることもある大変な仕事ですが、功太さんは3人の息子たちを養うために頑張っていたそうです。
佐々木功太さんの人柄について、スポーツ紙は次のように伝えています。
佐々木功太さん。
もともと、陸前高田では知られた人だった。
元気な3児の優しい父として。人生の節目に寄り添う仕事をする、人情あふれる働き者として。夏祭りでは町内会を率先して盛り上げる、太陽のような存在として。
163キロ右腕のことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認知する人も多い。
引用元:日刊スポーツ 2020年3月11日6時1分(https://www.nikkansports.com/baseball/news/202003100000642.html)
死因は
2011年3月11日。
東日本を巨大な地震が襲いました。東日本大震災です。
東北地方の太平洋側は津波で壊滅的な被害を受けます。
なかでも陸前高田市の被害は深刻で、人口24,246人に対し1,757人の死者・行方不明者を出しています。
そして佐々木朗希さんの父親の功太さんと、祖父母の3人もこの犠牲者の中に含まれます。
東日本大震災でお亡くなりになっていたんですね…。
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中学時代から凄かった
佐々木朗希さんは2010年、陸前高田市立高田小学校3年生の時に地元チーム「高田スポーツ少年団」で野球を始めます。
中学は大船渡市立第一中学校に進み野球部(軟式)に入部します。
そして2年生時からエースナンバーを背負うようになりました。
ところが3年生になる直前の2016年初春に、腰の疲労骨折が判明します。
その後半年近くをリハビリに充てることになり、3年生時の本大会出場は叶いませんでした。
しかし秋に参加した「オール気仙」では岩手大会で優勝、東北大会で準優勝し、全国大会に出場します。
大会中に当時の自己最速となる141km/hを計測しています。
中学生でもうプロ並みですね!
高校時代は
高校進学に当たっては県内外の有名私立高校からの勧誘が多くありました。
しかし佐々木朗希さんは「地元の学校で甲子園を目指したい」との思いから岩手県立大船渡高等学校に進学します。
1年夏の県大会で147km/hを計測し、2年生の夏には154km/hを計測しました。
なお2年時の最高球速は157km/hです。
2019年4月6日、佐々木朗希さんは高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら、中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163km/hを計測したとされます。
これは大谷翔平さんが花巻東高等学校の頃に、当時の高校生の最速記録である160km/hを3km/h上回るものです。
このように速球で大きな注目を集めた佐々木朗希さんは奥川恭伸さん、西純矢さん、及川雅貴さんと共に、この年の『高校BIG4』と呼ばれるようになります。
2019年夏の第101回全国高校野球選手権岩手大会で、佐々木朗希さんはエース兼4番打者となりますが、7月30日に行われた決勝戦の対花巻東高校戦では「故障予防のため」という理由で投手・打者とも出場回避となり、チームも敗れました。
これに対して佐々木朗希さんの大船渡高校には苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論となり、メディアでも取り上げられるほど社会問題となったのは記憶に新しいところです。
プロ入り後は
佐々木朗希さんは2019年10月1日付でプロ志望届を正式に提出し、10月2日に岩手県高校野球連盟がこのことについて正式に発表しました。
そして同日記者会見を開き、正式にプロ志望を明らかにします。
2019年10月17日に行われたドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズの4球団からの1位指名を受け、抽選の結果ロッテが佐々木朗希さんの交渉権を獲得します。
2019年11月30日、佐々木朗希さんは大船渡市内のホテルで入団交渉に臨み、満額契約となる契約金1億円、年俸1600万円プラス出来高で合意しました。
背番号は同じ岩手県の出身でロサンゼルス・エンゼルスでプレーする大谷翔平さんと同じ「17」となりました。
佐々木朗希さんは2020年2月1日から13日まで実施された、千葉ロッテマリーンズの春季キャンプに一軍で参加しています。
仕上がりは上々でその投球を見た井口資仁監督からは「僕の想像をはるかに超えていた」と絶賛されました。
ですから本来であれば、もしかしたら開幕投手として登場したはずなのですが…。
千葉ロッテマリーンズのルーキー・佐々木朗希が160km/hの球で球界に旋風を起こすか?...話題としては面白いけれど、プロはスピードだけではね。それに160km/h以上になると人間の関節、そして指の爪や皮膚もダメージはある。選手生命短いのは望まないなぁ。#佐々木朗希#160km pic.twitter.com/hsEIdUPqrC
— 以出蔵@草の者 (@shin5114) May 10, 2020
終わりに
以上、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希さんについて見てきました。
例年であれば今頃は彼の活躍を目の当たりにしていたところですが今年は違います。
未だに開幕が決まらないという異常事態に陥っています。
新型コロナウイルス対策とはいえ、プロ野球ファンとしては何とかしてほしいものです。
佐々木朗希さんの投球を早く見てみたいものですが果たしていつになることやら…。
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