1970年代から歌手として女優として活躍を続けている小柳ルミ子さん。
最近ではNHK大河ドラマ「西郷どん」で、島津斉興(演:鹿賀丈史)の側室由羅を好演し、その悪女ぶりが話題となりました。
また大のサッカー好きとしても有名ですね。
カード会社のイベントで元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ選手と同席した際には、感激のあまり涙を見せていました。
そんな小柳ルミ子さんですが、若い頃はとても可愛かったんですよ。
宝塚音楽学校を首席で卒業したのも本当なんでしょうか?
また、歌劇団の同期にはどなたがいるのでしょうか?
今回は小柳ルミ子さんについていろいろ調べてみようと思います。
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Contents
宝塚時代
ここからは小柳ルミ子さんの宝塚時代にスポットを当てて見ていくことにしましょう。
どんな生活を過ごしていたのか、同期には誰がいるのか、またせっかく宝塚歌劇団に入団したのに、なぜたったの2ヶ月で退団したのかなど詳しく知りたいですよね。
同期は誰?
小柳ルミ子さんは1970年、56期生として宝塚歌劇団に入団しました。
同期には元雪組トップスターで現在は女優の「麻実れい」、↓
元雪組・星組トップ娘役で現在は女優の「東千晃」。↓
元花組組長の「宝純子」、元雪組組長の「真咲佳子」、元専科男役(元星組副組長)の「萬あきら」、元月組娘役スターの「条はるき」、元雪組娘役スターの「城月美穂」、後にシャンソン歌手疋田愛子となった「七海水帆子」らがいます。
56期生は「四季の踊り絵巻」と「ハロー!タカラヅカ」で初舞台を踏んでいます。
どんな宝塚時代を過ごした?
筑紫女学園中学校を卒業後、宝塚音楽学校に入学した小柳ルミ子さん。
以降の2年間は、朝の9時から夜の10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅するという生活を続けます。
元々歌手志望だった小柳ルミ子さんは、友人の知り合いだった梓みちよさんを通して、在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出ました。
渡辺プロダクションは「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と回答したそうです。
宝塚を首席で出た?
どうしても歌手になりたかった小柳ルミ子さんは、渡辺プロダクションからの回答を受け、さらに勉学に勤しみます。
その結果、見事に宝塚音楽学校を首席で卒業しました。
そのまま歌手になるつもりでしたが、渡辺プロダクションから「初舞台だけは踏んでおきなさい」というアドバイスをされ、1970年に宝塚歌劇団に入団。
「四季の踊り絵巻」と「ハロー!タカラヅカ」で初舞台を踏んだ後、わずか2ヶ月で退団しました。
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若い頃のかわいい画像はこれ!
小柳ルミ子さんの若い頃は八重歯がチャームポイントのアイドルでした。何点か当時の画像を見てみましょう。
・小学校の卒業アルバムです。さすがにあどけないですね。
・デビュー当時の画像です。八重歯が覗いてますね。
・ご存知マルベル堂のブロマイドです。
サッカーはにわかファン?
小柳ルミ子さんは年間約2000試合も観戦するほどのサッカー好きです。「2018 FIFAワールドカップ ロシア」ではフジテレビのW杯スペシャルサポーターに就任しているくらいですから本物ですよね。
ここからは小柳ルミ子さんとサッカーについて見ていきましょう。
いつ?何故サッカーにはまった?
小柳ルミ子さんの公式ページによるとサッカーファン歴は14年になるそうです。
きっかけとなったのは2002年に開催された「日韓ワールドカップ」。
この時、ベッカムフィーバーが起きたんですが、小柳ルミ子さんは最初はベッカムにはまったんです。
そして海外のサッカーを見るようになり、FCバルセロナのリオネル・メッシ選手に出会ってしまいます。
メッシファンとなってしまった小柳ルミ子さんは、それ以降、今日までサッカーまっしぐらとなってしまい、仕事がある日でも一日5試合はチェックするそうです。
睡眠時間も一日3時間なんだとか。
サッカーはにわかファン?
小柳ルミ子さんのサッカー愛は本物です。
「Jリーグワールドチャレンジ2017 浦和レッズ対ボルシア・ドルトムント」では副音声ながらも解説者としてデビューをしているくらいですから。
サッカーの知識については専門家も舌を巻くほどだそうです。
小柳ルミ子さんの解説については、あまりにもズバズバ発言することから「選手へのリスペクトがない」などと批判をされることもあります。
ですが一方でサッカーファンからは一目置かれているようですよ。
では、改めて小柳ルミ子さんのプロフィールを紹介します。
小柳ルミ子のプロフィール
・小柳ルミ子
出生名:小柳 留美子
別 名:夏川るみ・rumico(旧芸名)
愛 称:ルミちゃん
生 誕:1952年7月2日(66歳)
出身地:福岡県福岡市早良区
学 歴:宝塚音楽学校
ジャンル:歌謡曲
職 業:歌手・女優
活動期間:1970年 - 現在
事務所:プラチナムプロダクション
小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さんは歌手で女優です。70年代のアイドルでした。
血液型はA型で年間約2000試合も見るサッカーマニアとしても有名です。
宝塚音楽学校を卒業後、宝塚歌劇団に2ヶ月ほど席を置き退団します。
退団した1970年、NHK連続テレビ小説「虹」で女優としてデビューしました。
翌1971年、平尾昌晃さんのプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビュー。160万枚の大ヒットとなります。
同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また「第13回日本レコード大賞最優秀新人賞」も獲得しました。
その後もヒット曲を連発し歌手として大成功を納めます。
女優としては1982年「誘拐報道」で「キネマ旬報賞助演女優賞」「第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を受賞。
翌1983年に公開された「白蛇抄」で見せた迫真の演技により、「第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を受賞するなど活躍しています。
終わりに
今回は小柳ルミ子さんについて見てきました。
宝塚歌劇団に入団したのに2ヶ月で退団とは、なんだかもったいないような気もしますが、その後の小柳ルミ子さんの活躍を見れば決断は正しかったんでしょう。
結婚生活はうまく行かなかったようですが、今はサッカーと結婚しているのかも知れませんね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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