田臥勇太選手が2016年7月のリオ五輪世界最終予選以来、1年7ヶ月ぶりに日本代表候補に選ばれました。
田臥選手といえば日本人として初めてバスケットボール最高峰のNBAプレーヤーになりましたが、解雇されてしまっています。その理由を成績から解明したいと思います。
また、とても女性からも人気があり、これまでに彼女らしき人もいたようです。2017年に結婚したと言う噂もあります。
それとも現在の彼女が結婚相手なのか?
今回はその辺を探ってみます。
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Contents
田臥勇太のNBA解雇理由を成績から解明!
田臥勇太がNBAに行くまで
1980年10月に神奈川県横浜市金沢区に生まれる。現在37歳。バスケの名門秋田県立能代工業高校では3年連続で「高校総体・国体・全国高校選抜」んも3タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成、もちろん1年生の時からレギュラーで出場した。
高校時代に史上2人目となる全日本候補選手に選ばれる。
2000年NCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校へ留学するが、2年間は単位取得や椎間板ヘルニアの怪我のためプレイはできなかった。2001年からは「日本のジョーダン」と紹介され、全試合に先発出場する。2002年大学を3年半で中退した。
2002年5月には日本のスーパーリーグ・トヨタ自動車「アルバルク」に入団し、チームの準優勝に大きく貢献し、新人王受賞。
2003年5月にはトヨタ自動車「アルバルク」を退団した。
NBAの成績
- 2003年7月NBA「ダラス・マーベリックス」のサマーリーグに参加した。
- 2003年9月NBA「デンバー・ナゲッツ」と契約し、プレシーズン戦3試合に出場したが開幕ロースターには残れず解雇される。チームメイトに田臥より身長の低い165cmのアール・ボイキンスがいたが、勝てなかった。
- 2003年11月ABA(アメリカ・独立リーグ)の「ロングビーチ・ジャム・アルビレックス」と契約し、デニス・ロッドマンとも一緒にプレーし、2004年4月優勝する。
- 2004年9月NBA「フェニックス・サンズ」と契約し、同年11月開幕メンバーに登録され、日本人初の「NBAプレイヤー」となる。
- その後、4試合に出場したが同年12月には解雇されます。その時の成績は以下のとおりです。
- 「プレー時間17分、7得点3アシスト」
- その後同じ12月にすぐにABA「ロングビーチ・ジャム・アルビレックス」と再契約し、NBAへの復帰を目指します。
- 2005年9月NBA「ロサンゼルス・クリッパーズ」と契約し、プレシーズン戦7試合に出場したが、シーズン開幕前の10月31日に解雇される。
- 同年11月にはNBA傘下のNBAデベロップメント・リーグの「アルバカーキ・サンダーバーズ」に9巡目70位でドラフト指名され入団する。主要選手として活躍するがシーズン後半に怪我で戦線離脱する。
- 2006年7月NBA「ダラス・マーベリックス」のサマーリーグに参加する。
- 同年11月NBAデべロップメント・リーグの「ベーカーズフィールド・ジャム」に3巡目11位でドラフト指名され入団する。
- 2007年11月には「ジャム」のロースターから外れ、同リーグの「アナハイム・アーセナル」へ移籍する。
- 2008年7月NBA「ニュージャージー・ネッツ」のサマーリーグに参加する。
2008年8月には日本復帰をします。日本復帰後の田臥選手ですが、能代工業高校時代の恩師・加藤三彦が率いる「リンク栃木ブレックス」に所属し、日本バスケットボール界の看板選手になり、日本のプロバスケットボールリーグ振興へと地道な働きを続けています。
2017年5月には「Bリーグ」初代王者に「栃木ブレックス」が輝き、大きく貢献しました。
NBA解雇理由は
- 2003年9月NBA「デンバー・ナゲッツ」と契約し、プレシーズン戦3試合に出場したが開幕ロースターには残れず解雇される。チームメイトに田臥より身長の低い165cmのアール・ボイキンスがいたが、勝てなかった。
アール・ボイキンスとは同じポジションを争ったがスピード・パスワーク・シュート力で勝ることができなかったことが原因で解雇されてしまったようだ。
- 2004年9月NBA「フェニックス・サンズ」と契約し、同年11月開幕メンバーに登録され、日本人初の「NBAプレイヤー」となる。その後、4試合に出場したが同年12月には解雇されます。その時の成績は以下のとおりです。「プレー時間17分、7得点3アシスト」
わずか17分間の出場で7得点3アシストが結果として良いのか悪いのかは正直わかりませんが、良くなかったという判断で解雇になったようです。NBAとは凄い世界ですね。
- 2005年9月NBA「ロサンゼルス・クリッパーズ」と契約し、プレシーズン戦7試合に出場したが、シーズン開幕前の10月31日に解雇される。
この時の解雇理由は経験不足という理由です。NBAで活躍するには相当な経験が必要なのですね。
2018年10月28日、日本人としてNBAプレーヤー2人目となる渡邉雄太選手がデビューしました。今後の活躍が期待されます。
2019年6月20日、NBAドラフト2019でウィザーズから1巡目全体9位で八村塁選手が指名されました。凄いことです。
これで3人目のNBAプレーヤー誕生ですね。
関連記事がありますので、ぜひお読み下さい。
関連記事:【画像有】八村塁は両親のおかげで凄い選手になった?両親や兄弟姉妹はどんな人?
関連記事:八村塁の高校時代の成績や身長は?プロ1年目の年棒予想に驚き!
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2018年結婚はしたのかそれとも現在の彼女が結婚相手か真相は?
彼女遍歴
田臥勇太選手のこれまでの彼女といわれているのが、元テレビ朝日アナウンサーである前田有紀さんという方がおられます。
この方を簡単にご紹介します。
- 本名:前田有紀
- 生年月日:1981年1月17日
- 出身地:神奈川県
- 身長:160cm
- 最終学歴:慶応大学総合政策学部卒業
1999年4月テレビ朝日入社、2013年3月にテレビ朝日退社します。
前田有紀さんはスポーツやバラエティ番組などで活躍をしている人気女子アナの1人でした。10年近くもMCを務めた、人気サッカー番組「やべっちFC」での活躍により、サッカーファンのアイドル的な存在でした。
そして前田さんは、芸能メディアなどの人気女子アナランキングでも常に上位でした。
しかし、前田さんはバスケットが好きで、田臥勇太選手はバスケットボール界の日本のスーパースターであったため、前田さんにとっては憧れの存在でした。
そんな田臥勇太選手が2008年に帰国をしてある番組で知り合ってから2人の交際がスタートしたようです。
その後半同棲しているかの報道がされましたが、結婚にはいたらず、結局前田有紀さんは2015年7月に前田さんと同じ慶応大学出身の一般男性の方と結婚されています。
2016年12月には、長男が誕生するなど、幸せな人生を送っているようです。
現在の彼女
2017年6月に熱愛スクープが週刊誌に掲載されました。お相手は、なんと前田有紀さんの後輩にあたるテレビ朝日アナウンサーの竹内由恵さんです。
この方も簡単にご紹介します。
- 本名:竹内由恵
- 生年月日:1986年1月20日
- 出身地:東京都
- 身長:162cm
- 最終学歴:慶応大学法学部卒業
竹内さんは、なんと前田有紀さんの後任として「やべっちFC」のMCを務めています。ここまで同じとは驚きますね。
2人とも交際に関しては否定はしていません。となると交際しているようですね。
では結婚はどうでしょうか。
もちろん2017年はまだ結婚はしていません。同棲もしてはいないようです。
田臥勇太選手は「Bリーグ」をもっともっと盛り上げていくことにまだまだ忙しそうですし、竹内由恵アナも現在売れっ子アナウンサーですので、当分は仕事を優先するような気がします。
真相は分かりませんが、当分結婚はないような気がします。
2018年3月末頃、2人は破局したようです。お互いに仕事が忙しくすれ違いが多かったようです。
追記記事
竹内由恵アナは2019年3月に同学年の医師と入籍したようです。
まとめ
- 田臥勇太選手は2004年9月NBA「フェニックス・サンズ」と契約し、同年11月開幕メンバーに登録され、日本人初の「NBAプレイヤーになりますが、すぐの12月には解雇されます。
- 理由はNBAのレベルが高いのですが、経験不足が主な理由なようです。
- 彼女は以前は前田有紀さんで現在は竹内由恵さんのようです。
- 2人ともテレビ朝日のアナウンサーで大学も慶応で同じです。しかも「やべっちFC」のMCを2人とも務めています。偶然とはいえ驚きです。
- 2018年田臥勇太選手は結婚はしていません。
- 竹内由恵アナと結婚するかはまだ分かりませんが、2人ともまだ忙しく仕事を優先するような気がしますので、結婚はまだないように思えます。
- 2018年3月末頃2人は破局したようです。お互い仕事が忙しくすれ違いが多かったようです。
まだまだ、田臥勇太選手の活躍が日本のバスケットボール界には必要な気がします。
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