ニュースで9月22日(金)のテレビ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」にルー大柴さんが出演されるのを知りました。私は、「トウギャザーしようぜ!!」でブレイクした時は知っていましたが、若い頃どうだったのか知りませんでした。
そしてブレイクできたのがペラペラの英語力?だったのか興味をいだきました。また茶道の師範になっていると知って正直驚きました。どういう理由から?
今回はその辺を探ってみます。
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ルー大柴の若い頃
ルー大柴さんは1954年1月(現在63歳)に東京で生まれています。同期には小堺一機さんや所ショージさんらがいます。
高校を卒業してヨーロッパを旅していました。将来はエンターテイメントの世界で生きていこうと思っていたのですが、印刷屋の長男であったため、両親からは後継ぎを期待されて、それが嫌で、とにかく外国に逃げるように日本を脱出しました。
ヒッチハイクで放浪の旅です。まずはイギリスに行って3か月間、英会話の勉強をします。王立の演劇学校の受験を目指します。しかし、残念ながら挫折してしまい、そこからはオランダ、スカンジナビア半島の北欧の国フィンランドからドイツに入って、またオランダにそしてベルギー、フランスと回りました。
ヒッピー生活で寝袋で寝たり、知らないところで人の家に泊めてもらったり、オランダのロッテルダムで露天商で自分で作ったアクセサリーを売ったり、いろいろな人と交わりを持ちました。物おじせず、まず喋って行動する。そんな生活を経験していました。
これが若かりし時のルー大柴!驚きですね。↓
そして日本に戻ってからは演劇学校で1年半学びます。卒業後はいち早く売れるためにはスターの付き人になるのが一番という事で「三橋達也」の付き人になります。とても辛い仕事でしたが、反骨心が強く辛抱しました。気が付けば2年半と歴代でも一番長い付き人になっていました。
その後、勝新太郎さんが主催する演劇学校である「勝アカデミー」の一期生になりました。
27歳で結婚したので、役者の夢は諦めて、食える仕事に就こうという時にテレビの仕事が増えていきます。30代半ばになるとバラエティータレントとしてブレイクします。
ところで、若い頃の写真を見るとこれが意外?(笑)にもイケメンではありませんか。高校時代の写真を見ると少し、二宮和也と松山ケンイチとどこか似ているような気がします。写真で見比べてみましょう。
<ルー大柴> ↓
<二宮和也> ↓
<松山ケンイチ> ↓
この写真は、ルー大柴さんが立教高校時代に刊行されていた雑誌「ハイファッション」の広告でヤングパパをイメージした時のものです。 ↓
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ブレイクしたのはペラペラの英語力?
日本語と英語を融合し、「ルー語」を生み出したルー大柴さん。35歳の時テレビコマーシャル「アデランス」でアルシンド(鹿島アントラーズ)と共演し、「トウギャザーしようぜ!!」で一躍有名になりました。
ところでルー大柴はペラペラの英語力を持ち合わせているのでしょうか。
実父が露・中・英の3カ国語のトリリンガルであったというのが影響したようです。
高校時代には帰国子女と交際していて、英語を使う機会も多かったようです。高校時代に洋画をよく見たようで、その影響でヨーロッパを回ったようですし、それによって英会話力も自然と身に付いたようです。
以前、NHKのオーロラを見に行く番組に出演していました。 そこでは普通に通訳なしで現地(カナダ)の人と会話していました。 その時はやるなあ、いかしてると思いました。
茶道の師範になった意外な理由
30代半ばでブレイクはしたものの、40代頃からは徐々に仕事が減り、テレビなど表舞台からは遠ざかりました。50代になると転機が訪れます。マネージャーも替り、このままではダメという事で何とかしなければと模索します。
そこで生み出したのが「ルー語」です。「藪からスティック(棒)=藪から棒」「寝耳にウオーター(水)=寝耳に水」などことわざや慣用句に取り入れました。これが女子高生から話題になりました。再ブレイクが来たのでした。
茶道を始めた理由も自分を変えるためだと言っています。元来ルー大柴さんは若いころからも「物おじせず、喋って行動する、動」のイメージが強かったので、「静」の雰囲気も嫌いではなかったので、違うイメージも表現したかったようです。それに人間修養にもなるという思いから取り組み始めました。
始めはなかなかしっくりいかず、自分には合わないと思ったようですが、そこは辛抱強いルー大柴さんですから、3年続けると茶道が楽しくなり、4年目には準師範となり、やがて430年の伝統を持つ遠州流茶道の家元から師範の免状と庵号(貫庵かんあん大柴宗徹そうてつ)を授かったのです。
お茶をやっている時間に「美味しくなれ美味しくなれ」とただそれだけを考えるいわゆる「ピュアになれる」そんな時間を持てることが非常にやってて楽しいとルー大柴さんは言っています。
本来の自分の姿に立ち返ることが出来たのが一番意外だっと言っています。
そしてまさに人間修養になったのが、ボランティア活動をするようになっていきます。茶道との出会いが隠れていたルー大柴の良さを引き出しましたね。
参考記事 ↓
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まとめ
- 若い頃はヨーロッパを放浪の旅をします。そこでの経験がその後のルー大柴のブレイクに繋がります。
- 若かりし時の見た目は二宮和也や松山ケンイチ似のイケメンです。
- 日本に戻ってからは演劇学校を出て俳優を目指します。そのために「三橋達也」の付き人になり、運よく「勝アカデミー」の演劇学校1期生になります。
- なかなか俳優での仕事はなく、テレビのバラエティーで30代半ばでブレイクします。「トウギャザーしようぜ!!」で一躍有名になりました。
- ブレイクしたのはペラペラの英語力でした。あるTV番組でオーロラ見に行く内容で、現地のカナダ人と通訳なしで普通にしゃべっていました。
- 茶道の師範になった理由は自分を変えるためです。「動」から「静」に変ることで本来の自分を引き出すことが出来ました。
頑張って下さい。これからもますます応援しています。
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