シンガー・ソングライター界(?)のおしどり夫婦と言えば、竹内まりやさんと山下達郎さんでしょう。
この投稿をInstagramで見る
結婚を発表した時には「美女と野獣」などと陰口を叩かれたこともありますが、1982年の結婚以来37年間に渡って仲睦まじく暮らしています。
そこで今回は竹内まりやさんと山下達郎さんの馴れ初めや、竹内まりやさんが山下達郎さんのどこに惚れたのかなどを紹介したいと思います。
どうぞ最後までお付き合い下さい。
スポンサーリンク
Contents
竹内まりやのデビューは
この投稿をInstagramで見る
出生名:竹内 まりや
生 誕:1955年3月20日(64歳)
出身地:島根県簸川郡大社町(現出雲市)
学 歴:慶應義塾大学文学部英文科中退
ジャンル:J-POP、ニューミュージック
職 業:シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家
担当楽器:ボーカル、ピアノ、ギター
活動期間:1978年 -
竹内まりやさんは慶応大学在学中から音楽活動をしていました。
そして1978年11月25日にRCA/RVCよりシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING」でデビューを飾ります。
ちょうどアイドル歌手が不在だった時期なので、そのルックスからアイドルのように扱われます。
この事が後に山下達郎さんと付き合うきっかけともなりました。
スポンサーリンク
山下達郎のデビューは
この投稿をInstagramで見る
出生名:山下 達郎
生 誕:1953年2月4日(66歳)
出身地:東京都文京区本郷
学 歴:明治大学法学部中退
ジャンル:J-POP、AOR、ニューミュージック、シティ・ポップ、ドゥーワップ、ブルー・アイド・ソウル
職 業:ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、編曲家
担当楽器:ボーカル、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、パーカッション
活動期間:1973年 -
山下達郎さんは1973年、大貫妙子さんらと音楽グループ「シュガー・ベイブ」を結成します。
そして1975年4月25日、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」とシングル「DOWN TOWN」を、ナイアガラ・レーベルから同時にリリースしてデビューを果たしました。
竹内まりやさんよりも3年ほどデビューが早かったことになります。
二人の馴れ初めは
じつは竹内まりやさんと山下達郎さんは、同じレコード会社(スマイルカンパニー・ワーナーミュージック・ジャパン)に所属していました。
その関係から竹内まりやさんのアルバムに、山下達郎さんがアレンジャーやコーラスなどで度々参加していました。
顔馴染みとなった頃、竹内まりやさんはあるバラエティ番組アイドル歌手として出演します。
芸能人の運動会のような番組でのことです。
竹内まりやさんは、男の子の口の中にところてんを押し出すという奇妙な役どころを演じる羽目になりました。
そして、こんな事をしていていいのかと悩むことになります。
音楽のみで活動を続けたいと思った竹内まりやさんは、その事を山下達郎さんに相談します。
山下達郎さんは親身になって相談に乗り、やがて二人は恋仲となりました。
意外な真実とは
じつは竹内まりやさんと山下達郎さんは結婚する前から一緒に暮らしていたんです。いわゆる同棲ですね。
1980年には山下達郎さんの家に竹内まりやさんも住んでいたことが知られています。
結婚したのは1982年ですから、同棲期間は2年間ということになります。
竹内まりやさんは当時、アイドル扱いされていたので、意外に思った人が多かったようです。
竹内まりやは山下達郎のどこに惚れた?
この投稿をInstagramで見る
竹内まりやさんが作曲しアン・ルイスさんに提供した「リンダ」のレコーディングの際、山下達郎さんが徹夜でコーラスを担当したくれたそうです。
その姿を見た竹内まりやさんは、真摯に音楽に向き合う人だと感じて惚れたんだとか。
音楽という共通項が二人を結びつけたんでしょう。それにしても二人とも音楽のレベルの高さは素晴らしいものがあります。
最後に
いかがだったでしょうか。
竹内まりやさんと山下達郎さんが、結婚前に同棲していたとは意外でしたね。
当時の竹内まりやさんはアイドルのイメージが強かったですから・・・。
竹内まりやさんが山下達郎さんに惚れた訳も、なんとなくわかるような気がします。
山下達郎さんの楽曲はどれも素晴らしいものですから。
今やお二人とも60代の半ばですが、音楽活動は精力的に続けています。
これからもお二人の楽曲を聞くことが出来るのは本当に幸いです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
関連記事:竹内まりやの娘・山下絵里は大学卒業してどんな職業に?現在は結婚してる?
スポンサーリンク