1960年代から現在まで銀幕で活躍を続けている吉永小百合さん。
70歳をすぎた今でも変わらぬ美貌には驚かされます。
名実ともに日本を代表する女優さんですが、結婚した時には各方面に波紋を広げました。
それは夫とは15歳も年の差があったからです。今では珍しいことではありませんが、1973年頃ではほぼありえないことでしたから。
でも結婚したのにお子さんがいませんよね。なぜなんでしょう。なにか理由があるんでしょうか。
今回は大女優、吉永小百合さんについて調べてみました。どうぞ最後までお付き合い下さい。
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結婚はいつ?誰と?
吉永小百合さんは1973年8月3日、当時フジテレビのディレクターだった岡田太郎さんと結婚しました。
吉永小百合さん28歳、岡田太郎さんは43歳で15歳差でした。
しかも岡田太郎には離婚歴があったため、吉永小百合さんの両親は結婚には猛反対します。
結局、結婚式場では式を挙げることが出来ず、友人宅で挙げたそうです。
出席者は友人のみでたったの5人でした。
吉永小百合さんと岡田太郎さんが密会に使っていた、新宿の寿司屋の大将が料理を振る舞ったそうです。
二人の馴れ初めですが吉永小百合さんは過労とストレスから20代半ばで声が出なくなってしまったんだそうです。
丁度この頃、岡田太郎さんと知り合います。
吉永小百合さんは岡田太郎さんの、「声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ」というアドバイスに救われ交際に発展、結婚に至るわけです。
デビューから結婚まで
まずは吉永小百合さんのプロフィールを確認しておきましょう。
・吉永小百合
・本 名 岡田小百合
・生年月日 1945年3月13日(73歳)
・出身地 東京都渋谷区
・身 長 155cm
・血液型 O型
・職 業 女優・歌手
・活動期間 1957年 -
・配偶者 岡田太郎 1973年 -
吉永小百合さんは1960年代を代表する人気映画女優です。
10年間で70本以上の映画に出演しました。
また歌手としても多くのヒット曲を世に送り出しています。
多忙な芸能活動の合間を縫って早稲田大学第二文学部西洋史学専修を卒業しています。
1957年、小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューします。
同年の10月にはラジオ東京制作のテレビドラマ「赤胴鈴之助」でテレビデビューを果たします。
1959年、松竹映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューを飾ります。翌年の1960年、中学卒業と同時に日活撮影所に入社します。
1962年、高校在学中に「キューポラのある街」(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演します。
この演技が認められて「第13回ブルーリボン賞主演女優賞」を受賞しました。
また同年ビクターから「寒い朝」で歌手デビューをします。
この曲は大ヒットとなり20万枚を売り上げます。
続いて発売された「いつでも夢を」で「第4回日本レコード大賞」を受賞しています。この曲は橋幸夫とのデュエット曲で30万枚の大ヒットとなります。
この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組み数々の作品に出演をしています。
1969年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修を卒業。同時に日活と契約更新します。
1972年、疲労とストレスから声が出にくい中出演した映画、「男はつらいよ 柴又慕情」が公開されます。
撮影中に主演の渥美清さんから「役者なんて定めのないものなんだから、1年先、2年先の仕事が決まっているようじゃダメなんだよ」と話しかけられ、これが人生を考え直すきっかけとなります。
1973年、「一度人生を考え直そうと」と考えていた矢先、15歳年上のディレクターだった岡田太郎さんと知り合い結婚しました。
結婚後は
1973年、人気絶頂の時に結婚した吉永小百合さんは、その後1年余り女優業を休業します。
休業中は掃除や洗濯、料理などの家事や、銀行や役所での手続きなど、全く普通の生活を送っていたそうです。
女優復帰後は1974年「男はつらいよ/寅次郎恋やつれ」、1975年「青春の門」などに出演。
テレビドラマの出演も多くなります。
「日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞」は、1985年「おはん」「天国の駅」、1989年「つる-鶴-」「華の乱」、2000年「長崎ぶらぶら節」、2005年「北の零年」で計4度も受賞しています。
現在も日本を代表する女優として活躍を続けています。
子供がいないが何故?
吉永小百合さんと岡田太郎さんの間にはお子さんはいません。
その理由については、子育てと女優業の両立が困難なことや、ステージママであった母親のように子供を束縛するのではないかという不安。
そして両親の反対を押し切っての結婚だったため、結婚後は親と疎遠になり母親への不信感が募ったことから、自分が母親になるのをやめたそうです。
どうやら母親との確執が背景にあるようですね。
過去には渡哲也との結婚話を潰されていますから、無理も無い話かもしれません…。
渡哲也さんの弟分の舘ひろしさんの記事です。参考にどうぞ。
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夫・岡田太郎は今どうしてる?
吉永小百合さんと結婚した当時は岡田太郎さんは、フジテレビのディレクターを勤めていました。
その後、共同テレビの社長に就任し、会長、相談役を歴任しました。
現在は引退しており悠々自適な余生を送っています。
引退した当初はテレビの「おとこの台所」を見てワインに合う料理を作り始めたそうです。
2014年には肝臓を患いましたが奇跡的に回復、現在は吉永小百合さんの手料理が何よりの楽しみだそうです。
特に鰹だしの味噌汁が欠かせないんだとか。
吉永小百合さんは高齢な夫のために自宅をバリアフリーに改装したそうです。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
一時期、声が出にくくなっていたんですね。
そして結婚することで救われたとは知りませんでした。
お子さんがいない理由も複雑なんですね。
でも夫婦仲は良さそうですから、これからも幸せに暮らして行かれるんでしょう。
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