松井秀喜さんが野球殿堂入りを史上最年少43歳7ヶ月で果たしました。
そんな松井秀喜さんは子供時代はどんな風に凄かったのでしょうか。結婚や2人目の子供が生まれたのはいつなのでしょうか。
また、松井秀喜さんの名言「努力」や「行動が変われば」というのは一体どういうことなのでしょうか。
今回はその辺を探ってみます。
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Contents
松井秀喜は子供時代も凄かった!結婚と2人目のこどもが生まれたのはいつ?
松井秀喜の凄かった子供時代
1974年6月に石川県で生まれます。現在43歳になります。生まれたときの体重は3690gとビッグサイズでした。
小学校1年生のときに兄の影響で地元の少年野球クラブに入りますが、まだ1年生ということもあり野球ルールが理解できずに一旦は止めます。
この時、もう二度と野球はやらないと思ったそうです。
3年生のときに柔道と出会います。当時から体は他を圧倒するくらい大きく、野球で挫折していたので柔道にのめりこみます。そして地元の能美郡大会で優勝し、石川県大会で3位に入るなど好成績を残し、国体強化選手にも選ばれるほどでした。
しかし5年生のときに再び野球にも夢中になります。元々は右打者でしたが、あまりに飛距離を飛ばすために、兄から左打者を勧められました。
当時阪神の掛布選手が活躍しているのもあり、左打者を目指します。
中学に入学する際には野球か柔道か、どちらかを選択しないといけなかったのですが、たまたま地元の中学に柔道部がなかったので野球を選択したのです。運命ですね。
もし、柔道をやっていたらどうなったのでしょうか?オリンピックに出て金メダル獲得したのかもしれませんね。
今となっては野球を選んでよかったのでしょうね。
野球、柔道以外にも相撲も強かったようです。地元の大会では相撲部員を差し置いて優勝してしまったようですから・・・。
まあ、スポーツだったらどんな種目も強かったのでしょう。体、特に足・腰が強かったようですね。結局、それが野球で超一流になれた原点ではないでしょうか。
もちろん本人の努力は凄いものがあったようですが・・・。
スポーツ以外でも、なんとピアノも上手だそうですよ。
1992年夏の甲子園大会で星陵高校時代に5打席連続敬遠四球は今でも語りつがれています。
結婚したのはいつ
2008年3月(松井さん当時34歳)にアメリカ・ニューヨーク市内で親族だけで挙式したようです。
奥さんを似顔絵で紹介する松井秀喜さん ↓
奥さんとは2006年に知人の紹介で知り合い、松井秀喜さんのほうが「ひと目ぼれ」だったそうです。「ずっと一緒にいたいと思わせてくれる女性」だそうです。
ちょうどこのころ松井秀喜選手はニューヨーク・ヤンキース時代で、2006年にはレフトの守備の際に左手首骨折、そして2007年には右ひざ痛で苦しんでいたころです。
この女性の存在が松井秀喜選手にとって、心を癒してくれる大きな精神的支柱だったのでしょう。
松井選手は2009年シーズン終了までニューヨーク・ヤンキースに在籍します。
この女性は、元野球用品具メーカーで社長秘書を務める才女で当時25歳で富山県在住の女性だそうです。松井秀喜さんの実家も石川県でお隣で良かったのかもしれません。
お名前は中山愛さんという情報がありますが、個人情報は流さないという結婚時の約束から、確かな情報ではありません。
写真も推測になりますが、この方ではないかという噂です。
2人目の子供が生まれたのはいつ
松井選手は2009年までヤンキースに在籍したあと、エンゼルス、アスレチックス、レイズで活躍します。そして2012年12月末に現役を引退します。
その後すぐの2013年3月上旬に長男が誕生します。このときはまだニューヨークにいました。ですから長男はアメリカと日本と二つの国籍を持ちます。
その年の5月には長島茂雄さんと国民栄誉賞を受賞しています。まさに幸福の絶頂期といえるでしょう。
そして2017年1月に2人目の子供である次男が誕生しています。
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松井秀喜の名言
プロ野球でもドラフト1位で入団した人の中で、成功できた人とそうでない人、その差はどこから来るのか。運・不運だけで語ってしまってよいのでしょうか。
天才、大物といわれた松井秀喜さんが成功できたわけを名言から学んでみました。
松井秀喜さんから学んだ名言を紹介します。
努力
努力できることが才能である。(父から贈られた言葉)
このような名言があります。
松井選手は自分のことを次のように分析しています。
「努力しなければ人並みにもなれない」
「僕は階段を少しずつ登っていくタイプだと思っているんです。」
「一生懸命に練習すれば、必ずいい結果がでると信じているんです。」
そして、実際このことを実証できることがあります。長島茂雄監督が巨人時代に指導した松井選手のことを次のように述べています。
私が監督をしている時の九年間で、一番練習した選手は松井です。練習しているかどうかはわかるんです。一ヶ月、二ヶ月一生懸命する選手はたくさんいます。調子が良くなると彼らは練習をしなくなるんです。それではダメなんです。3年、5年、10年先の自分のバッティングがどうなりたいと思い描いて、それを信じて毎日欠かさず練習できる選手でないと大成しないんです。松井はそれを唯一できた選手です。松井は器用と不器用で見ると、不器用な方の選手です。でも、九年間彼は1日も練習を怠らなかった唯一の選手でした。
松井秀喜さんには功績ではなく、努力を怠らなかったことに対して「国民栄誉賞」が送られたのかもしれませんね。
行動が変われば
松井秀喜さんは、高校時代の恩師・山下監督から教わったこの言葉を大切にしています。
「心が変われば行動が変わる」「行動が変われば習慣が変わる」「習慣が変われば人格が変わる」「人格が変われば運命が変わる」
とても深い言葉です。
まず、気持ちの持ち方から変えていかなくてはなりませんね。それが行動を変え、習慣になり、そして人格が変わっていく。最後に気がつけば運命までもが変わっていたということなのでしょう。
松井秀喜さんは見事に恩師の山下監督から教わったことを実践しましたね。
長島茂雄監督と出会い、アメリカ大リーグでも活躍でき、国民栄誉賞までいただける運命を切り開いたのですね。
心の持ち方一つで全てが変わってしまうのですね。
参考記事 ↓
まとめ
- 松井秀喜さんの子供時代は野球・柔道・相撲、そしてピアノとどれをとっても凄かったですね。
- 2008年3月にアメリカで挙式しています。親族だけで行いました。
- 1人目の子供は2013年3月に長男が、2人目は2017年1月に次男が生まれています。
- 松井秀喜さんの名言に「努力できることが才能だ」という父の言葉があります。
- 恩師・山下監督からは「心が変われば行動が変わる」「行動が変われば習慣が変わる」「習慣が変われば人格が変わる」「人格が変われば運命が変わる」という名言を座右の銘にしています。
いつか、また松井秀喜さんが野球の指導者として活躍される日が来るであろうと期待しています。
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