グランプリシリーズもはじまり、羽生結弦くんは初めて4回転ルッツ決めることができ、平昌オリンピックに向けて着々と準備しているようです。
羽生結弦君の人気も凄まじく、試合後リンクに投げ込まれる花束やプレゼントの数も大変なものです。
中でもプーさんの縫いぐるみの数は凄まじく、今年は「プーさんの海」とまで書かれていました。
この大量のプーさんのその後はどうなるのでしょうか。また結弦くんはどんな理由でいつからプーさんが好きなのでしょうか。
そして結弦君の家族構成はどうなっているのでしょうか。こちらも見ていきたいと思います。
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羽生結弦君がプーさんを好きな理由は?
結弦君は心臓が強いイメージですが、小さい時は人前で話すこともできなかったそうです。そんな結弦君がプーさんを好きな理由は「顔が安定してるから」だそうです。
この画像はプーさんがウサギの穴から出れなくなった時の場面です。プーさんはちょっとだけ困るのですが、まあいいや、とすぐにのんびりするのです。
プーさんはどんな時も感情的になることなくマイペースで安定しています。それが小さい時の結弦くんにも、そして今どんな大きな試合でも「安定した顔(感情)」というのが結弦君をほっとさせるのかもしれませんね。
たしかにほっとする顔ですね。
いつからリンクでいっしょにいる?
調べてみたところ
2010年12月の全日本選手権ではプーさんはいませんでした。
2011年2月の四大陸選手権では、今の形のプーさんではなく、平べったい形の くまの顔の形の黄色いカバー(プーさんじゃないかも)。 で、震災後初の国際公式試合のネーベルホルン杯のキス&クラではプーさんが います。ネーベル杯は2011年9月です。
その後のGPシリーズ初戦の中国大会のキス&クラにもいます。
なので、2011年9月のネーベルホルン杯から、になると思います。
出典 羽生選手の演技の後の画像で黄色のプーさんティッシュボックスカバーをオーサーコ... - Yahoo!知恵袋
羽生結弦君は2011年の東北大震災で被災し、避難所での生活も経験していますから思うところがあって「安定した顔」を手元に置いておきたいのかもしれませんね。
リンクに投げ込まれたプーさんのその後はどうなるの?
演技が終わるとファンの皆さんは思い思いにプレゼントや花束をリンクに投げるのですが、羽生結弦君の場合はすさまじいです。しかもプーさんですからものすごく目立つしインパクトが半端じゃありません。
そのプレゼントはどうなるかというと、一度選手のもとへ届けられるそうです。 ただ、かなりの量があって現実的に受け取れない場合には羽生選手の意向でどうするか決められるそうです。 そりゃそうですよね。あれだけの量を羽生結弦君の元へ届けるのは不可能ですからね。
多くの選手はフラワーガールにプレゼントするか捨ててしまうかのどちらかだそうですが、 羽生選手の場合にはスケートクラブに所属している子供たちにプレゼントしたり、 児童養護施設に暮らしている子供たちに寄付しているようです。
「気持ちをいただいてありがたいけど、自分だけでは持ち帰れない。せっかくいただいたものなので何か社会の役に立つような寄付をしたい 」
2015年3月29日「サンスポ・コム」より
いかにも結弦君らしいです。
【追記】ピョンチャンオリンピックのショートプログラムで羽生結弦さんは完璧な滑りを見せ、111、68という高得点で1位となりました。そしてフリーでも会心の演技をみせ、66年ぶりとなるオリンピックフィギュアスケート男子2連覇を達成しました。
去年11月10日に靭帯を損傷してから初めての試合で出した成績ですからすごいですね。
フリーのプログラムや羽生結弦選手が高得点をたたき出す演技力についての記事はこちら↓
羽生結弦 : 劇的なフリープログラム構成で見事オリンピック2連覇❗️
プーさんシャワーもものすごく総数200とも300とも言われています。羽生結弦さんはプーさんを大会が開かれている地域に寄付するそうなので、今回も平昌江陵市へ寄付するそうです。
さて、いよいよ数か月後に迫った平昌オリンピックですが連覇を狙う羽生結弦君を支えているのはやはり家族です。
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羽生結弦を支える家族構成
羽生結弦君は4人家族です。お父さん、お母さん、お姉さん、そして結弦君です。
お父さん:羽生秀利
まだ弓弦君が小さい時に楽しそうに撮った写真ですね。お父さん、優しそう。
職業は宮城県宮城郡利府町にある「利府町立しらかし台中学校」の教頭(2015年の時点)です。
お母さん:羽生由美
お母さんの由美さんは弓弦君にずっと一緒についていてものすごく熱心というのは有名です。
東日本大震災で地元のスケートリンクが大打撃を受けた際、スケート連盟に頭を下げて羽生結弦選手が早く練習できるようにしたりしました。
2011年、 高校3年生(当時18歳)の羽生結弦選手は、 かつてキム・ヨナの指導者だった名コーチ・ ブライアン・オーサーに師事するために カナダのトロントへ引っ越します。 その時も母親の由美さんはカナダに一緒にいきます。
カナダは肉料理が多いので、弓弦くんは体調が悪くなったり 生活環境や言葉の壁にもぶつかったそうです。 そんな羽生選手のために、 母親の羽生由美さんは消化の良い鍋料理を考案したり、 息子のために支え続けていたと言います。
「怖い」「きつい」性格だともいわれています。 その原因が、マスコミか誰かが羽生結弦に触れようとしたその時、 「触らないで!」と大きく叫んだという話です。 また、恋愛禁止令を出したり、携帯電話を持たせないようにして スケートに集中させるよう指示を出したこともありました。
今は弓弦君も23歳と立派な大人なのですからここまでお母さんが関わっていることはないと思うのですが。
参考記事 ↓
羽生結弦新プログラムフリーの構成は最強だ!衣装のデザインは誰がする?
今年も早くも8月後半です。あと2カ月もすればスケートGPシリーズが始まります。それだけでなく年が明ければ平昌オリンピックが2月にあります! 羽生結弦はオリンピック2連覇なるのでしょうか。 ショートプロ ...
お姉さん:羽生さや
実は弓弦君がフィギュアスケートを始めるきっかけはお姉さんでした。 先にお姉さんがフィギュア教室に通っていて、羽生結弦選手が興味本位でそこの体験教室に参加してフィギュアスケートを始めたそうです。きっかけはほんのささいなことなんですね。まさかその時、将来弟が世界の絶対王者なんてよばれるようなるとは思いもしなかったでしょうに
1990年生まれで、羽生結弦選手より4歳年上。お姉さん自身も8歳〜18歳まで10年間スケートをやっていたそうです。しかし、お金のかかるフィギュアスケートのこと、弟弓弦君のために自分はスケートを辞めたという美談があります。
参考記事 ↓
まとめ
- 羽生弓弦はプーさんの安定した顔が好きで、2011年9月頃からリンクへもプーさんを連れてくるようになった。
- リンクに投げ込まれた大量のプレゼントは、スケートクラブに所属している子供たちにプレゼントしたり 児童養護施設に暮らしている子供たちに寄付している。
- 家族構成は4人家族で中学の教頭をしているお父さん、羽生弓弦のスケートを支えるのに熱心なお母さん、弓弦がスケートを始めるきっかけとなったお姉さんがいる。
グランプリシリーズ史上初の5連覇やそのあとの平昌オリンピックでの金メダル2連覇という大試合が控えている羽生弓弦さん。フリープログラムの難易度もどんどん高くなっています。グランプリシリーズロシア大会ではずっと練習していた4回転ルッツが初めて決まりました。
いつもの力が本番でも出せるように祈っています。
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