2022年6月5日に行われた対日本ハム戦で、三塁打を放って勝利に貢献した小野寺暖さん。
育成選手から支配下選手に上がってきた方です。
そこでこの記事では「小野寺暖は母子家庭で兄弟がいる?大山を手本に年棒アップを目指す?」をテーマに調査してまとめました。
どうぞ最後までお読みください。
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Contents
プロフィール
https://twitter.com/Aya78447975/status/1535841933783801856
■小野寺 暖
・出身地:奈良県奈良市
・生年月日:1998年3月17日(24歳)
・身 長:183cm
・体 重:82kg
選手情報
・投球/打席:右投/右打
・ポジション:外野手、一塁手、三塁手
・プロ入り:2019年 育成選手ドラフト1位
・初出場:2021年4月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
・京都翔英高等学校
・大阪商業大学
・阪神タイガース (2020 - )
小野寺 暖(おのでら だん)さんは奈良県奈良市出身のプロ野球選手です。
右投右打で阪神タイガースに所属しています。
小野寺さんは奈良市立左京小学校の2年時に「奈良リトル」で硬式野球を始めました。
奈良市立平城東中学校在学中には「南都ボーイズ」へ所属。
京都翔英高校への進学後に硬式野球部へ入ると、1年時の秋から正左翼手に定着し、在学中は対外試合で通算20本塁打を放ちましたが、春夏とも甲子園球場での全国大会とは無縁でした。
大阪商業大学への進学後は、2年時の秋から関西六大学野球のリーグ戦に出場すると、在学中に5本塁打を記録します。
主軸に定着した3年の春季リーグ戦では、歴代2位の18打点でMVP、4年時の春季には打率.500で首位打者とMVPのタイトルを獲得しました。
いずれのシーズンもチームが優勝し、全日本大学野球選手権大会に2度出場しています。
2019年のNPB育成ドラフト会議1巡目で、阪神タイガースから指名され、育成選手として入団しました。
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母子家庭
小野寺暖さんは家庭の事情で中学・高校時代は実母に女手一つで育てられていました。
大阪商業大学への進学後は奨学金で学費を賄っていましたが、硬式野球部で1年時に対外試合の登録メンバーから外れた時には、「このまま中途半端に野球を続けても、母に迷惑をかける」として退部も考えたそうです。
そして阪神入団2年目の母の日(5月9日)を前に、育成選手契約から支配下選手契約へ移行します。
移行を機に球団から支給された契約金(1000万円)の一部を、母の日のプレゼント(時計)に充てています。
兄弟がいる
小野寺暖さんには兄が1人います。
仁さんという方ですが、年齢差や職業は不明です。
小野寺さんが子供の頃は、育ち盛りの息子を2人育てなければならなかった母・由子さんは、大変なご苦労をされたのではないでしょうか。
大山をお手本に
小野寺暖さんは阪神への入団2年目に、春季一軍キャンプで主砲の大山悠輔さんからもらったバットとの相性が良いことから、似た形のバットを注文したうえで使い始めたところ、甘いコースに入った速球を逃さずに打ち返せるようになったのだそうです。
それ以来、大山悠輔さんをお手本に、ストレッチ用の器具や体作りのための食品など、コピーをしているのだとか。
ただし大山さんのグラウンド内外の姿勢を見習っても、完コピはしないようにしているそうです。
大山さんのプロフィールも確認しておきましょう。
5回、3点本塁打を放ち、#青柳晃洋 投手とグータッチをする #大山悠輔 選手 pic.twitter.com/c47YbWtsFr
— スポニチTIGERSフォト (@Sponichi_Tfoto) June 10, 2022
■大山 悠輔
・出身地:茨城県下妻市
・生年月日:1994年12月19日(27歳)
・身 長:181cm
・体 重:92kg
選手情報
・投球/打席:右投右打
・ポジション:三塁手、一塁手、外野手
・プロ入り:2016年 ドラフト1位
・初出場:2017年6月23日
・年 俸:1億円(2022年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
つくば秀英高等学校
白鷗大学
阪神タイガース (2017 - )
大山 悠輔(おおやま ゆうすけ)さんは茨城県下妻市出身のプロ野球選手です。
右投右打で阪神タイガースに所属しています。
年棒アップを目指す
小野寺暖さんは育成選手として阪神に入団しています。
そして支配下選手に上がったわけですが、年俸の推移については次の通りです。
■年俸推移
年度 球団 年俸
2019 阪神 200万円(支度金)
2020 阪神 300万円
2021 阪神 300万円
2022 阪神 650万円
年俸は順調に伸びていますね。
まとめ
以上、阪神タイガースの小野寺暖さんについてみてきました。
小野寺さんは育成選手での入団が決まった際には涙を見せていました。
すると複数のメディアが勘違いをして、支配下選手としての契約ではなかったことから、悔し涙だったのではと報じられます。
しかしこれはメディアサイドの勘違いで、小野寺さんは入団が決まったことでの嬉し涙だったと語っています。
そして今では支配下選手です。
これからも頑張ってほしいですね。
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