俳優として活躍中の舘ひろしさん。
70歳になりますが今もスマートでカッコいい方ですよね。
そんな舘ひろしさんですが実家は病院でしかも武家屋敷だったんだそう。
本当なんでしょうか。
また若い頃は「クールス」として有名でしたが、そもそもどうしてバイクチームのリーダーになったのでしょう。
そこで今回は舘ひろしさんについて調査してまとめました。
若い頃の画像も掲載したので、どうぞ最後までお読みください。
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Contents
舘ひろしのプロフィール
今の舘ひろしが一番格好良いハァ〜〜〜ん…♡ pic.twitter.com/uYQagAa1P6
— sue(スー) (@sue_ntm) February 11, 2019
・舘ひろし
本 名:舘 廣(たち ひろし)
別名義:たちひろし(1975年 - 1976年)
生年月日:1950年3月31日(70歳)
出生地:愛知県名古屋市中区老松町(現:名古屋市中区千代田)
身 長:179cm
血液型:A型
職 業:俳優・シンガーソングライター・タレント・キャスター
活動期間:1975年 -
配偶者:あり
事務所:石原プロモーション
舘 ひろし(たち ひろし)さんは俳優でシンガーソングライター、タレントでキャスターです。
■主な作品
テレビドラマ
『西部警察シリーズ』
『あぶない刑事シリーズ』
『ゴリラ・警視庁捜査第8班』
『刑事貴族』 /『代表取締役刑事』
『愛しの刑事』/『功名が辻』
『パパとムスメの7日間』
『隠密八百八町』 / 『坂の上の雲』
『純と愛』/『なるようになるさ。』
映画
『暴力教室』 / 『男組 少年刑務所』
『皮ジャン反抗族』/『薔薇の標的』
『あぶない刑事シリーズ』 /『青い山脈'88』
『免許がない!』/『義務と演技』
『終わった人』/『映画 アルキメデスの大戦』
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若い頃はバイクリーダー
そして若い頃の舘ひろし pic.twitter.com/20ZcWeC1zc
— 真面目人間ボン (@mazimebonn) August 1, 2019
舘ひろしさんは若い頃は「クールス」というバイクチームのリーダーでした。
チーム結成のきっかけは飲食店で食事をしていた岩城滉一さんに舘ひろしさんが歩み寄り、身構えた岩城さんに「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合したことから。
当時、舘さんはバイクの免許を持っておらず岩城さんに勧められ、岩城さんのバイクに二人乗りして教習所に通ったそうです。
そして東京原宿で1974年12月13日、舘ひろしさんをリーダーに、岩城滉一さんをサブリーダーにして結成されました。
結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という血判状を作成したそうです。
チーム結成当時の人数は21人でメンバー全員リーゼント・黒の革ジャンパー・黒または青のジーンズ・黒のオートバイで統一されていました。
🏍クールス🏍#クールス #キャロル #矢沢永吉 #舘ひろし #岩城滉一 pic.twitter.com/FK0AFq0eHV
— きらら (@E_yazawa_kirara) March 19, 2019
実家は病院・武家屋敷
舘ひろしさんの実家は病院でしかも武家屋敷なんだそうです。
なんだか凄いですね。
一体どういうことなのか見ていくことにしましょう。
まずは病院からです。
病院
舘ひろしさんの実家は「舘医院」で父親は内科医でした。
愛知県名古屋市中区新栄2-16-12にあったのですが現在は廃業しているそうです。
ちなみに舘ひろしさんの父親は、2014年に89歳で他界されています。
現在は舘ひろしさんの弟さんの舘啓二さんが、愛知県豊田市浄水町で診療科目が内科の病院、「舘ハートクリニック」を開業しています。
弟さんが病院を継いだような形だったのですね。
舘ひろしさんも病院を継ごうと医師を目指したていたようですが、二浪して大学の医学部を受験したようですが、上手くいかなかったようです。
結局、千葉工業大学の建築学科に入学したようです。
武家屋敷
舘ひろしさんの先祖は尾張藩の武士で旧士族の家柄です。
代々の住まいは徳川家から拝領した「徳川家の離れ」だったそう。
そんな家柄のせいか官吏だった祖父が英国好きで、舘家には牛乳紅茶を飲む「ティータイム」がありました。
舘ひろしさん自身もその後英国好きになり、1996年8月、元日産ミスフェアレディの妻との結婚式は英国で行っています。
また愛車はモーガンで毎週の乗馬への往復時など自分で運転する時に乗っているそうです。
そして仕事時など自分で運転しない時はジャガーに乗っているんだとか。どちらも英国製の自動車ですね。
何故、バイクリーダーになった?
舘ひろしさんと岩城滉一さんが「クールス」を結成したのは、ともにバイク好きだったからです。
そして舘ひろしさんがリーダーになったのは人望からでしょう。
当時の舘ひろしさんを知るライターの遠藤夏輝さんは次のように語っています。
「バッドエンジェルスというクールスの弟分チームをつくってちゃんと顔合わせをしたとき、舘さんの眼光の鋭さに思わず直立不動になってしまって(笑)。
ものすごい威圧感があった。でも、一度懐に飛び込むと、面倒見がよくて優しい。それは岩城さんも一緒です。」
引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/7556471/
そして1975年9月にチームの中から選抜された7名と、バンド結成から参加した大久保喜市さんの計8名で、アメリカンロックンロールバンド「クールス」としてシングル「紫のハイウェイ」でデビューすることになります。
終わりに
以上、俳優の舘ひろしさんについて見てきました。
バイクチームのリーダーになったのは人望からなんですね。
たしかにインタビューなどに応じている舘ひろしさんを見ていると気遣いや優しさを感じます。
懐の深い方なのでしょう。それが伝わってきます。
70歳と世間的にはお爺さんになるかも知れませんが、まだまだテレビや映画でその姿を見せ続けて欲しいものです。
さて、今回はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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